sunsunsun

3人兄弟子育て。
三者三様の成長を記録。

ランドセル

2011-03-21 22:45:56 | 子供
今日、パパが高田小学校まで行ってランドセルや残っていた学用品をとりにいってきた。
ランドセルは無事であの街で過ごした唯一の思い出の品になった。

そしてアパートの瓦礫に何か残っていることを少し期待していたけれど、アパートのあった場所には基礎しかなかった。更地になっていた。ということだった。
全て波がさらって行ったことを思うと、海に対して恐怖心しかわかない自分がいる。
去年の夏は波と海と遊んだのに。
二年前、あの街をはじめて見に行った時も1番気に入ったのは高田松原の松林と砂浜だった。
堤防を越えると聞こえてくる波の音。サラサラキラキラの砂。
子供も喜んで砂浜を走った。
あと何年したらまたあの砂浜に行く気持ちになれるのかな。

ホントにありがとね

2011-03-19 18:04:45 | 子供
震災にあい、友達からたくさんのメールや電話をもらったり親戚や団地の人から服や食べ物をもらった。
被災したとはいえ、家もあり家族も全員無事で、避難所からも震災翌日には盛岡に逃げてきたので精神的にも体力的にも大丈夫なのに、みんなに心配かけてしまってお世話になってしまって申し訳ないと思ってます。

陸前高田のみんなの家は新しいものもあるけど古いものを改築、修繕して継いできたものも多く、多くの人が家を継ぐという考えを持っていてお嫁さんが同居する話も多く、はじめは驚いた。賃金も低いので両親が働き、おじいちゃんおばあちゃんが孫を見るのが一般的のようだった。
そんな家がいっぱい流されたかもしれない。

あの街で仲良くしてくれた人達や子供の先生達、いろいろ感謝したい人達にお別れも言えず、引越しと転校の手続きを終えました。

早くみんなが普通の生活に戻れるように、国も精一杯の援助をしてあげてほしい。

信じられない光景

2011-03-16 01:33:54 | 子供
11日金曜日、大地震がきたとき私は会社で蟹の前処理をしていた。ものすごい揺れとともに外にでたあと何度も大きい揺れを感じた。それにも関わらず「とりあえず仕事の後かたずけしよう」という人もいて出ている蟹をかたずけ水をまこうとしたら出なかったので仕方ないこのままで明日続きやろうと言っていた。
工場長は「津波きたら2階に逃げよう」と言っていたけどおばちゃんが近くの避難所に逃げようといいみな移動をはじめた。工場はあたしの住む高田町に入るには橋を渡らないといけない場所にあるので、子供が心配という人など散り散りに車で自宅や学校へむかった。あたしも子供の同級生のいるおかあさんとおばあちゃんを乗せて出発した。
津波がきたら橋に通行規制がかかって通れなくなるだろう。子供が地震で不安に迎えを待っているだろう。とにかく高田町に入ろうという考えだけでその橋自体後に流されることを予想しての行動ではなかった。
道路に車は走っているように見えたけど少し高い所のパーキングエリアにみんな入っていき、きづくと先頭になってしまい、やばいと思いつつその気仙大橋という立派な橋を渡ったとき、川に水がなくなっていた。かなりひいていた。そのまま進むと店は消灯し駐車場には一つの車もなかった。まっすぐ小学校へむかった。乗せてきた人を降ろしながらだったのでゆっくりとした走行だった。
車を校庭に停めようか迷ったがいつもの学童の駐車場に停めて校庭に避難していた子供の所へ行った。高田小学校自体高い所にあり安心なので津波警報が落ち着くまでどうしようかと考えたかないかくらいで校庭のみんなが逃げ出した。地震でもないのにと思い街を見ると物凄い土けむり、電柱が倒れ、家が動いているのが見えた。
うちの二人も?という顔をしていたので「津波だ!走って!」と手をつなぎ走った。しかしそれでもここまでは来ないだろうけど念のためくらいの気持ちだった。しばらくして歩いてると「もっと上に逃げろー!」と叫び声が聞こえみんな全力疾走した。疲れて後ろをみると坂道を登ってきた波と瓦礫がみえた。もう走れないと思った。
それ以上は波は進んでこなかった。
そのままもっと高台にある老人ホームに避難し、アツキとパパに会えないまま一晩過ごした。
アツキの保育園も低いところじゃないし、パパも社員だから従業員を率いて避難したはずと思って過ごした。
つぎの日保育園の先生がわたしの避難所まで迎えにきてくれてアツキを迎えに行く事ができた。パパもまもなく会うことができた。
瓦礫に半分うまってたあたしの車は奇跡的に浸水してなくてそのまま内陸に帰ってこられた。
テレビで見るたびこっちに逃げてきて何もできない事につらくなったり申し訳なく感じたりするけどやはり元気を出さなきゃと思う。
あたしより先に子供を迎えにきたひとは家に帰ってしまってそれからわからなかったり、あたしが送ってきたおばあちゃんも近くの避難所にはいないようでわからない。高校生が家にいると帰った会社の知り合いもみつかったかどうか。

内陸もガソリンや食糧がなくなり元気がない。

災害にあってないまちや人達はあの全てを失った人たちを助ける元気がなくてはならない。

なにができるか、ずっと考えている。

ベタ

2011-03-10 08:49:43 | 子供
うちのベタの繁殖にとうとう成功したようだ。
ベタという魚は 闘魚とよばれオスは一緒にいれておくと死ぬまで戦うらしい。ひれが長くて綺麗だ。
うちではじめて買ったブルーベタくんは気が強すぎてメスにも攻撃してしまい結婚できずに死んでしまった。
二代目レッドベタくんが今回とうとう成功させてくれました。
ベタは泡を作ってそこに卵を運んでオスがその泡から落ちた卵やまだうまくおよげない稚魚を口に入れて泡まで運んで世話する魚はらしい。
いままさにその行為が行われている。
泡にたくさんの稚魚がぶらさがっていてなんだかワクワクする。
このあと水平に泳ぐようになったら容器をわけたり、いろいろ人間が世話しないといけないようだ。
今年の転勤がないとわかり落ち込んでいたパパもおかげで元気になって仕事にいきました。
ちなみにあたしはりょうまが吐き気で学校休んだからあたしも休んだ。

ベタの今後が楽しみじゃー