小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

雪が解けるまで 14

2006年03月20日 | 雪が解けるまで
 伊達は、確かに私を見ているが相変わらず動こうとしない。私は伊達の方へ歩きだす。伊達も息を切らしているようだ。肩が上下している。私を追いかけたのだろう。
 近づく程小さな顔がより小さく広い肩がより広く見える。いつもこの小顔が皆羨ましく、肩幅が不自然に広いから顔が小さく見えるだけだと皆でからかっていた。
 伊達の目の前に立つ。顔を見上げる事はしなかった。コブシを作り、それを振り上げ力一杯左肩へ打ち付けた。力は分厚いコートを通り越し伊達の体の中を行き交う程の鈍い響くような音が鳴った。通りすがりの人が驚き体をぴくりとさせる。コブシの表面が俄かに痺れている。伊達の体は、少しだけ後ろに傾いただけで、足元は動かす事無くそのまま張り付き、吐息すら漏らす事無く、すべてを吸収してしまったように思え、この肩幅の広さはそのためにあるのだろうかと考えてしまった。
 痛みを堪える仕草も見せない伊達を見たとき、私の方が崩れそうになった。全身から力が抜けそうになる。私が打ちつけた伊達の肩が動きその腕が私の肩へと触れ、私は伊達の顔を力なく見上げた。
「相変わらず、肩幅、広すぎ」
 私は力なく笑い、伊達の口元がゴメンと動く。二人が見えていないかのように力が有り余った観光客が騒がしく通り過ぎていった。このゴメンを声で理解したのか、動きだけで理解したのかは分からないが、私は確かに受け止めて口元を再び緩めていた。張り詰めていたものが次々に綻んでいく、そんな感覚に陥っていた。

「伊達っち、失神してもいいよ、痛いと言ってもいいんだよ」
 伊達の言葉を受け止める事に私は私であるためにこうするしかなかった。伊達は痛みを感じないような強靭な人間になったわけじゃなく、失神した時と同じだけ痛みを感じているはずで、だからこそ、その反動が私に流れ込む。心臓をきゅっと握られてしまったかのように苦しくなる。いっそうのこといつものように失神してしまったほうがどんなに楽だったのだけれど、それが、この七年の伊達の苦しみを物語っていた。塗り固めてしまった心が、このコートの下にある。伊達の胸が大きく膨らみまた元へ戻り、ふっと笑った。

 二人は肩を並べ、しばらく何も語らずに歩いた。陽が落ちると急速に空は濃紺へと変わり暖色は消える。二人を映し出していた影は、店先や街路灯の明かりにぼんやりと張り付いていく。ふとみると、隣を歩いていた伊達の姿はなく影だけが置き去りにされていると思ったら、店先に出ていたスタンド看板の陰であることに気づき後ろを振り返る。
 ゆらゆらとはためく団子と書かれたノボリの前に伊達は立ち止まり、人一人分と団子を焼くスペースだけがある瓦屋根の小さな建物の中へ視線を向けている。伊達の横顔は何かを真剣に見ていて私の存在を忘れているようにさえ見えた。何秒程経ったのかは分からないが、伊達の視線が私へ向けられるとその団子屋を指差した。
「食べていこう、奢るよ。一本」
 伊達は、私の返事も聞かずにポケットの中へ手を突っ込み、小銭でも探しているのか次々に三つのポケットを探した。私は、店の横にあるコの字型の塀で囲まれたスペースに移動する。そこは、三方に細長いカウンターがついていて、椅子はなく、奥の塀には長方形に繰り抜かれ塀の向こうにある柳の木やうっすらと流れが見える川面、明るさを増す月が見える。私はその前に立ちカウンターに肘を乗せ、もたれかかるようにその景色を見つめながら伊達を待つ。
 香ばしい匂いに自然と誘われ出された団子を受け取る。
「いまだ変わらず六十円だった」
 伊達は背をカウンターに向けながらブツブツと安すぎるだのやっていけるのかだのと続けた。所々聞き取れなかったけれど、とりあえず頷き団子を食べる。醤油味にかりっとした団子の表面が口の中で広がるたびに懐かしさが増す心にも染みこんでいく。
「今日さあ、目が覚めたらこの街にいたんだ、始めは夢かと思って、でもどうやら現実だって事に気づいたのはいいんだけれど、歩くたびに時間がさあ・・・。七年前に引き摺り戻されたのかと錯覚して、今、私は、いったいどちらの時間にいるんだろうって真剣に考えた。でもね、当然ながら三太がいなくなってからの七年を過ごしていたのは変わることない現実であって、まあ、内容はどうあれさ。でも、思いはいろいろな場所に置き忘れていたみたい。結局、拾い歩いた一日になってしまった」
 冷めかけの団子を冷める前に口に入れる。みたらし団子は一粒が小さいので一本では当然物足りなくなり、おまけに香ばしい醤油味が後を引くものだから、どうしても、もう一本食べたくなる。伊達は手持ち無沙汰に串を持っていた。
「俺さあ、結局卒業して一年も経たないうちに、ここを出たんだ。苦しくなって、それが耐えられなくなった、それから、今まで数える程しか実家に戻っていなし、逃げたんだ」
 月が川面に移り揺れていた。冷たい風が柳をゆらゆらと揺らす。
「よし、今度は私が奢るよ」
「ああ」
 伊達の串を受け取り重ねてゴミ箱に捨て、店の前へ経つ。赤く光る炭火が、じわじわと団子を焼き、お婆さんが器用にクルクルと回し焦げ目を付けていく。
「団子を二本下さい」
 財布から百二十円出すと、差し出された皺くちゃの手のひらに置く。手元の横にある籠の中へ入れられた。
 小さな店の中へ視線が止まる。壁に掛けられた額に釘付けになっていた。
「はい、お待ちどう、熱いからねえ」
 お皿に乗った二本のみたらし団子から湯気が上がる。それを受けとりお婆さんに笑顔を返し伊達の元へ戻る。
「どうした」
 伊達にみたらし団子を出しながら、首を横に振ると伊達は団子を口に入れ噛もうとした瞬間に動きが止まり、音を立て空気銃のように団子が一つ飛び出した。飛び出した団子はコロコロと転がっていき伊達は追いかけ飛びついた。
「三秒以上経っているよな」
 小石が塗された団子を指先で摘みながら顔を真っ赤にして立ち上がった伊達は、失神こそしなかったが明らかに団子の熱さに動転している。私はその姿に久しぶりに呆れ団子を食べながら背中を向け再び揺れる月へ視線を移した。


「なんだよ、随分落ち込んでいるな、彼氏と喧嘩でもしたか?あのさ、頼みがあって、明日みたらし団子三本奢るから、見てほしいものがあるんだ、いいかな」
 街を出る少し前で、三太が亡くなった少し後だった。その頃頻繁に街で見かけ、いつのまにか話すようになったカメラを提げた男性がそう言った。けれど、私は団子三本を奢ってもらうことはなかった。



thank you・・・。
さあ~て、ラスト一回です。次回は最終回ですっ!!
春が本格的に来てしまうので・・・。