『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

子どもが、中学校を卒業しました

2022年03月11日 | 中学生と育つ
子どもが、中学校を卒業しました。

もはや、親の出番はあまりなくて、
「あなたの歩みを見守らせてください。
寄り添うくらいしか出来ませんが」、
って感じになっています。

中学1年生の頃はコロナもなくて、
ふつーに過ごせたんだけど、
1年生の3学期、
全国一斉に学校が休みになりました。
歴史上、そんなことってなかったと思う。

「ちょっとラッキー」とか思ってたら、
2年生になっても学校が始まらず、
3か月も休みが続くことになり、
先生が全員の自宅まで教科書を届けに来てくれました。

その時は、コロナ予防方法がわかんなくて、
「ポストに入れますから出てこないでください」
なんていうプリントが配られていたからお礼も言えず、
遠くからジェスチャーで言った。

友達とも会えなくなり、ピアノやいろんな習い事も中止。
公園すら入れないところが増えて、
外に出るだけで変な目で見られて。

なんか、もう、あの3か月、
どうやって過ごしてたのか。
今となっては忘れてしまいました。

3か月後に学校が再開した時には、
ガラリと学校生活が変わり、
給食は黙って前を向いて食べ、
部活も対外試合が軒並み禁止、なんてことに。

トライヤルウィークもなくなり、
修学旅行ですら、2度も延期になり、行先が変わり、
結局、友達と夜中までトランプしたり、
こっそり告白タイムがあったりする、
楽しい楽しい宿泊もなく、日帰り遠足に変更。

それでも、こんな中学時代を過ごしたから、
何かのイベントや集まりの機会があると、
どんな形でも、素直に喜んでいました。
むしろ親が「ええ~、日帰り~?」って言ってたくらい。

合唱コンクールや文化祭、体育祭などなど、
何かの企画や集まり、イベントの機会は、
自分たちのために誰かが尽力して作ってくれてるんだ、
ってことが、ものすごい見えていて。

私の中学時代は、ヤンキー全盛期だったから、
与えられたいろんな機会をむしろ破壊する方向だった。
「だるい~」とか「そんな事したくない」とか言って、
もう、ワガママ放題、文句言い放題だったのに。

今、子どもや、子どもの友だちを見てると、
貴重な機会を全力で楽しもうとする方向だ。
文句言うとか、あり得なくて、
もう、誰と同じ班とかすら、譲れるの。

「せっかくの機会、楽しまないともったいない」と、
どうやったら、みんなで楽しめるか、
自分たちで、自分から、楽しみに行ってた。
自分が一番やりたいことをガマンするのも、
みんなで楽しむためなら、全然できちゃう。

そういうのが自分の時と違うな~と思って伝えると、
「何言うてんの? ふつーに楽しいやん」
って、不思議そうに言われた。

卒業式の歌も練習してたけど、
このところ、またコロナが広がってきたから、
今日の卒業式では歌はなかったな~。

思い通りに出来ない時だらけだったと思うけど、
先生たちがいろいろ考えてくれてることに感謝して、
自分たちも、一緒に参加する人みんなで楽しめるように考えて、
それを優先して、ともに楽しく過ごす術を身につけた。

なんか、そんなことをふつーにしながら、
卒業していく子どもたちが、
すごーーーく眩しく見えた。

運動場で名残を惜しみ、
写真を撮り合いっこしている子どもたちを見ながら、
友だちのおかーさんたちと
「めっちゃイイコばっかりやな~」
「ほんま、感動する~(泣)」ってしゃべってたら、
「先帰っといて」って追い払われたけどね~(^^)。

今日来てた子も、来れなかった子も、
卒業生全員に幸多かれと祈ります。
未来は託した!

生き生きと生きよ! byゲーテ



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