4月の終わりにいっぱい採れたさくらんぼ。
シロップ漬けにしてみたり、
ジャムにしてみたり。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」
っていう言葉があるけど、
枝が伸びすぎたら収穫できないから、
手が届く高さ+アルファくらいのサイズに
保っておきたくて、夫が剪定した。
桜が咲いている時には桜しか、
サクランボが実っている時には、
サクランボしか見ていなかったけど、
こうなってようやく、枝を見る。
ゲーテの認識論に一緒に取り組んでいる人たちと
さくらんぼの話をしている時に、ふと気づいた。
桜って、枝の先じゃなくて、
まっすぐ伸びてるところにも、
…それどころか、
唐突に、幹のど真ん中からも、
桜のピンクがこぼれ咲く。
このピンクは、花じゃなくて新芽。
桜がピンクだから、
最初の葉っぱはピンクなのかと思っていたけど、
夏に緑が濃くなっていく時期でも、
新芽はピンクでした。
枝はいっぱいあったけど、さくらんぼが実るのは、
幹や枝のど真ん中じゃなくて、
小枝がジグザグ屈曲しているところだな、って。
人も、屈折したところから、
何かを実らせるのかもしれない。
な~んてことを思いついて、
すごくおもしろく感じたんだけど、
ゲーテの認識論を見ていたら、
私の見方は、私を投影しているだけで、
全然サクランボに寄り添い足りないな~、
と思いました。
水をやりすぎたトマトは、生きる気力がなくておいしくない、みたいなことですね? 肥料たっぷりな土で育つと大きく育ち、肥料が足りないところで育つと、香りが高く育つ、みたいな気はします。
その子に必要なものを、ちょっと少な目に整えることが、子どもや植物を育てるコツかもしれません。私も足りない人でよかった…と開き直ってきました(^^;)。