『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

日々、リアルに練習です

2021年12月04日 | 考える日々
説明できない時は、もちろん相手に伝わらない。
でも「言っていいよ」と言われても言えない。
まして「言ってくれなきゃわからない」なんて
責め立てられたら言えるもんも言えないわ。

途方にくれるほど、アレコレ考えて、
こんがらがっているから。
という事すら、自分のことなのにわかってなくて、
大人になってから、やっと言葉に出来た。

昨日、遊びに来てくれた人が、
子どもに同じことを言ったというので、
自分もそうだったよな~と思い出していた。

黙っている間にどんな事を考えているのか、
思い返せば、なかなかややこしい。
どんだけややこしいねん!っていうくらい。
こんだけややこしいです(↓)。

んで、今日。
職場でAの仕事をしている時に、
ボスにBの仕事を頼まれた。
まわりの人たちが「Bは大変だよ。大丈夫?」と、
口々に心配してくれた。

私は、一応Aの役割なんだけど、
Aだけしかやりません! とは思ってない。
Bも、たぶん出来そうだし、
別に、それほど負担だと思ってなかった。
けど、一応、去年やった人に聞いてみた。

「心配してくれる人がいるんですけど、
去年ってどんな感じだったんですか?」
「いやぁ〜、あれは大変やったよ。ほんまに」
あれこれ説明してくれる。

あれ? 
でも、その人が「大変だった」という内容と、
私が頼まれたことは、大分違うような…。

「だって、私、去年言ったのよ。
こんなに大変なこと、もう出来ないって」。
ほほぉ。
だから、今年は私が頼まれたのね?

話を聞いていると、
去年は、初めてだったから何もかも未知数で、
その人が、何がどう大変だったか、どの程度が妥当か、
改善策として、こういうことが必要では?と、
あれこれ率直に、意見を伝えたみたい。

そして、頼んだ方も、
それを素直に受け入れて、考えたみたい。
そのおかげもあって、
私が頼まれた内容は、去年より負担が減っている。
やってみないとわかんないけど。

人間関係が出来てないと言いにくい、
仕事上のリクエスト。
「文句」や「不満」だと捉えられるとややこしいもの。
そこを乗り越えて、
ちゃんと伝えてくれた人がいたおかげで改善された。

そう思うと、
単なる自分のエゴから始まったものであっても、
「文句」や「不満」を「全体最適のための改善策」に高めて
伝えてみることは、とても大事なことだな〜と思う。

初めて飛び込んだ仕事では、
いまだにアレコレ失敗するんだけど、
それを、上司は毎回サラッと指摘してくれる。
黙ってダメ認定されたり、ムカつかれるより、
よほど気持ちがいい。

今、私は
「自分の考えを人に説明する練習をする」
っていうことに、わりとチャレンジする時期みたい。
そういう場面がいっぱいある。

ライター関係の仕事の打ち合わせでも、
今までなら「最近、ちょっとバタバタしてて」とか何とか、
自分の本当の状態を伝えようともしないで
結果だけ、望むボリューム感に調整してたりした。

「私のプライベートや考えとか興味ないよね。
仕事が進むように、必要最小限で進めますね」くらいの、
オノレの消しっぷり。
自分のことで人をわずらわせたくない、と思ってしまうのよ。

だけど、今は、ちょっと図々しくなってきて、
私のことを理解してもらい、相手のことも理解した上で、
何か一緒にできることがあれば、するし、
それでダメなら、それは他の人の仕事だったということだ、
とか思うようになってきた。

昨日の打ち合わせでも、
「今、こういうことがおもしろくなってきてて」
「自分の価値観と仕事を重ねていきたいと思ってて」
「テーマは○○とか△△とかを中心に」
「このくらいのボリュームで、やらせてもらいたい」
などなど、自分の思いを誠実に伝えてみた。

そしたら、伝わるんだよ! ビックリ!
相手のリクエストの半分くらいが私の希望だったんだけど、
お互い、納得ラインを探しやすかったし、
どっちも無理しないで出来る方法も提案してもらえたし。

ホント、言った方がいい場面って、いっぱいあるね。
って、50すぎて、こんな小さなことが
チャレンジだっていうのも、やや恥ずかしいんだけどね。

これからも、日々のリアルな現場で練習していこーっと。
そう思ってると、練習の場面がいっぱい登場するんだよね。
不思議だわ~。



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