ちょっとハードな小説を読みたくて、
中村文則さんに手を伸ばしてみる。
今日読んだのは『掏摸』(スリ)。
作者は結構親しみやすい顔をしているのに、
こんなハードな小説を書かれるとはビックリ。
いや、めっちゃ辛かった。
ある日出会ってしまった闇の男に、
そのスリの腕を見込まれ、
忠誠を誓うでもなく、礼を言われるでもなく、
指示され、見張られ、動かされる、腕のいいスリ師。
質問も交渉もできない。
指示通りにできなければ、死。
それも、たいした感情も動かさず、
跡形もなく、処理されてしまう。
救いのない、話。
その男に逆らえないなら、せめてその思惑を叶えて、
そして、無事にどこにでも逃れてほしい!
とシンパシーを感じつつ読むのに、結果は…。
ぞぞっとしながら、一気読み。
これは小説だけど、
似たような世界が、私の能天気な日常の隣にあって、
今もこういうギリギリで生きている人がいるという、
このパラレルワールド。
いろんな人の現実が、大きく重なる事なく、
時間軸に沿って、並行に進行していく。
同じ会社の人とだけ、同じ趣味の人とだけ、
同じサークルの人とだけ、同じ家族の間でだけ、
普通におしゃべりして、
そうでない人とは、ほとんど接点がない。
飲み水がなくて死んでしまう子どもや、
逃げ場なく犯罪を重ねる人たち、
儲けのために国すら動かそうとする人たちと、
同じ時間を、同じ地表で、生きている、私。
そこにも接点を作ろうとしない。知ろうとしない。
すごく怖くなる。
そうだった。
小説って、こういう「揺さぶられるもの」だった。
自分の常識の中で油断している時に、
答えの出ない世界に連れて行かれるもの。
こういう小説で、いろんな予行演習をして、
いろんな立ち位置の人にシンパシーを抱く事で、
自分の身の回りしか知らない自分に
少しだけ、外の世界を教えてくれる。
ニュースとしての単なる通り過ぎる知識や、
あざといコメントでコントロールされる感情ではなく、
主人公と自分を重ねつつ、
ヒリヒリ痛みを感じながらの読書体験。
悪人が主人公の小説、また読んでみよう。
その悪人にシンパシーを感じながら小説の中を歩く。
自分をイイヒトだと思っているようなヤツは
現実の見えない鼻持ちならないヤツだから。
小説に出てきたら、たいてい救いようがない。
私じゃん。
ズルくて弱くてバカでナマケモノで、
でも、明日は今日よりちょっとマシになりたい。
周囲の人には笑顔でいて欲しい。
生きていることに、何かの意味を持たせたい。
そんなささやかな願いを持つ一人として、
環境次第で、簡単に悪人に成り下がる可能性を
自覚しておきたいと思う。
善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
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