『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ホームページ作ろうかな? いやnoteかな?

2020年09月03日 | 手足を使う日々


春先の自粛期間中、
「こんなに時間あるから、いっそ自転車で日本海まで行かない?」
と半分本気で冗談を言えば、
「一人でどうぞ」と家族に冷たく却下されました。
ハイハイ、言ってみただけだよ、ごめんなさーい、だ。

それと似たような思いつきで、
「方向性と一致する仕事につながればいいな」
と、ホームページを作ろうかと血迷った、あの日。
誰も賛成も却下もしないので、作り出したんだけど。

ITの会社で10年以上も広報の仕事をしていた私ですが、
ITスキルはほぼゼロです。なにしろ、
「こうしたい」」「ここ直して」と言うだけで
エキスパートが瞬時に対応してくれる、
めちゃくちゃ恵まれた環境だったので。

もう頼れないから、自分でやるしかないなぁ。
さて、何からやったらいいのかな~。
後任のFちゃんオススメのWordpressの本を見ながら、
はてさて?

とりあえず、書いてあるままに、
サーバーを契約して、Wordpressを入れて、
ウェブサイトのテーマを設定する
…ところまでで、もう限界。

でも、よくやった、私!
私がやった…とは言い難い。
♪裏のカミサマと、Wordpress教本様の言うトオリ♪
なので、一見、どこにも私の自由はない。

けど実は、
これはこれで自由なことだよな~と思います。
「私がやりたくてやった」という一点において。

同じように、
感染状況に合わせて行動を制限するのは、
どう考えても、不自由なことだけど、
もし現状の収束にそれが必要だと知ってするなら、
それも自由な行為だな、と思うのです。

「早く収束してほしいけど、
オレは飲みに行っちゃうもんね~」ってのは、
一見自由に言えて、実は自分の衝動が抑えられず、
結局、自分の望みに反してしまう、不自由な行為。

大事なのは、
「本当は何を望んでいるのか」という一点。

カラダの欲求だけで生きている動物の自分じゃなくて、
自分なりに考えた動機で、自分を動かせる人間として、
大変でも一見不自由でも、自由な事がたくさんあると思う。

とは言え、この日は、
ドメイン、サーバー、プラグイン…、
よーわからん言葉に疲れたので、もうおしまい。
もうやだ、こんなの。あ~しんど。

今度、ひらがなで教えてもらっていいっすかね??

さて、そのまま放置して数か月。
それとは別枠で、noteに上げる原稿を
ちくちく書き溜める作業を進め出しました。
それって自由? 不自由?

やりたくて、やりかけたことを
スキル不足で放置しているのは不自由。
自分の理想のために自分を生かせることが目の前にあって、
それに取り組むのは、自由。

生身の身体を養う必要もあるのに、
金銭的な収入を無視するのは不自由。
世と自分を潤すために(ヘンな言い方!)、
自分を使うのは自由。

同じ行動が、相反している時は、
どちらをどのくらい大事にしたいか、
その都度、バランスをとらなきゃ、ね。

自由とは、
かくも自分次第なのでありました。

ああ、だって自由って
「自分」に「由る(よる)」だもんね。


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