『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

現在地がどこであれ

2020年09月04日 | 考える日々


「今、どの辺にいるの?」と、聞かれた時。
京都にいる私が「今、神戸にいる」と答えたら、
そんな無意味なことってない。

地理だと、その無意味さがはっきりわかるんだけど、
「理想までの地点」になると、
途端にそれがわからなくなる。

なるべく理想の近くにいたいと思うけど、
自分の現在地が理想から遠く隔たっているのに、
「近くにいる」と言ったところで、
理想までの距離が縮まるわけもないのにね。

架空の誰かに見栄を張ることが
それほど大事だと言うのか、私?
自分に見栄を張りたいのかもしれない。
まだオマエは大丈夫、って。うわ~。

大阪に行きたいのに、大阪に行かないのは、
自信がないから? 行き方がわからないから?
迷子になるのが不安だから? 
本当の本当は大阪に行きたくないから?
それとも…?

現在地から遠く離れた理想を
ただ、遠くから見て憧れているだけなのかな?
行って、幻滅したくないのかな?
行けなかった、っていう結果がコワイのかな?

行きたいなら、たとえそれが泥臭い作業でも、
足場を整えたり、階段を作ったり、手すりを設置したりして、
どんな方法でもいいから、
現在地から一歩だけ前に進んでみるといい。

意志の弱い、計画性のない、迷惑ばっかりかけるダメダメな自分を、
卑下するでもなく、嘆くわけでもなく、
「私は今、京都にいます」くらいのライトな感じで、
「私は今、こんな感じです」と、認識してみる。

だって、神戸にいる時に、
「私は今京都にいるはず」なんてウソを自分で信じたら、
どっちに向かえばいいのか、よけいにわからなくなるし、
いつまで経っても大阪に着かないもの。

大阪まで、新快速で移動するのが普通だから、
普通でしか行けないから行かないのか?
JRがダメなら、阪急でも阪神でもバスでもいい。
お金があればタクシーに乗ってもいいし、
頑張れば、歩いてでも行ける。

いや、究極、
大阪じゃなくてブカレストに行きたいとしたら(どこ?それ^^;)、
ブカレストの人から見たら、
別に神戸でも京都でも一緒だから。
(「ブカレスト」サウンドとしていい響きだわ)。

スマートに行けなくても、行きたいなら向かえばいい。
いいとか悪いとか、強いとか弱いとか、
自分に無駄な評価を下してないで、
現在地をごまかさず、目的地を見定めて、
一歩だけ、動き始めること。

一歩目が一番大変だから、
一歩目を踏み出せたら、二歩目はもっとカンタン!


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