
ガソリンが減ってきて、
「じゃあ、あそこで入れよう」と、
安いガソリンスタンドを思い浮かべながら、
実家からの帰り道を走っていた。
隣には夫。後ろには父の野菜。
もう何十回となく走った道。
父も母も、年齢なりに元気で、
顔を見せると喜んでくれる。
久々にまともな話をしながら車を走らせていて、
「あれ、もうここまで来ちゃったけど、
あのガソリンスタンド、潰れたんかな?」
「おかしいな? 見逃したかな?」
などと言いながら、ふと気づく。
私が、ガソリンスタンドが潰れたと思うのは、
自分の目を信じているから。
夫が、自分が見逃したと思うのは、
自分の目を信じていないから。
見えているものの深さはともかく、
自分が見てるものを信じていないなんて、
一体何を信じてるんだろう?
そっか。
自分が見るものを信じられないから、
数字とか変わらぬ証拠とかに頼るのか。
意外とそういう人、多いのかもしれない。
なんだか、決定的な違い、
を見たような気がしたのでした。
彼我のあらゆる違いが、
そこから生じるような、そんな大きな違い。
そうそう。
ガソリンスタンドは、
潰れていたのでも、見逃していたのでもなくて、
会話をしていたその先に、
元通り、ちゃんとありました。
どっちもが不正解で良かった。
おかげで、
「お互い、こんだけ違って、
よく折り合い付けてやってるよね」と、
お互いを称えたくなったのでした。
まぁ、これからもよろしくね!
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