『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

徒然草状態の時に訪れる、直観の不思議

2020年12月04日 | 『自由の哲学』
自由の哲学9章に
「思考世界からの直観によって正しく考えることができる」
みたいなことが書いてあります。

字面的な意味はわかるけど、「直観」ってのが、
自分のどの体験のことかイマイチ自身なかったんだけど、
ひらめきのことか。
鈴木さんの訳では「悟り」って書いてあるコレ。

何か書いている時に、時々、勝手にアタマに浮かんでくる、
手繰り寄せて言葉にする前から正しいと知っているコレ。
ひらめき、さとり。直観。

この「直観」っていう、なんか、
自分にとって絶対大事だとわかっている、
スゴそうなものを掴まえたくて、
それになんとか追いつきたい感覚は、昔からあった。

高校時代、それが消えてしまうのがもったいなくて、
追いつくために、なけなしのお小遣いで出始めのワープロを買ったくらい。
当時は、表示窓が2行だけで、変換効率も悪かったから、
全然役立たなかったけれど。
保存は、今はなきフロッピーディスク。おお、懐かしい(^^)!

書いている時には、
さとりちゃんとかひらめきくんとかいう、
すごい人がいろいろ教えてくれて書いているけど、
教えてくれたことは、すでに自分が知っていたことでもあり。

それなのに、あとで読み返してみたら、
「へぇ~、そうなんか~。そうやなぁ~」って、
自分で自分の考えが改めて整理できたりして。

何だろうね、この感覚。
スポーツ選手のいう
「ゾーンに入る」みたいなことかな?

強弱はあれど、わりと日常的にある、
そんなに熱くなってる時ばかりじゃない時にも訪れる、
コレ。
が、直観…か。

すごく不思議。

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