『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

無人島に持っていくなら、本じゃなくてノート

2020年12月03日 | 考える日々
私は、子どもの頃から、
何か書いていたら退屈しない。
「無人島に1冊持っていくなら」の問いには、
大好きな本にするか、分厚いノートとペンにするか、
おおいに悩むところだ。

なのに、読書感想文とかはめちゃくちゃ苦手だった。
何を書いたらいいのかわからなくて途方に暮れる。
「何書いたらいいんかな~」って、
相手にとってのふさわしさを考えてしまう。

仕事の書きもののが遅いのも、そういうワケか。
宿題や仕事は、別に自分の中に向かわない。
取材対象についてわかりやすく伝えるとか、
誰かに何かの存在を知ってもらうとかが目的だから。

人の話を聞くのは、すごく勉強になる。
でもちゃんと消化する前に締め切りが来る。
しかも、自分の中で響くことを、そのまま暖めたら、
膨大な文字数になってしまう。

さらに、
私が何を感じたかは、メインで伝えるべきことではなくて、
取材対象の素晴らしさこそ、きちんと伝えるべきで。

そんなこんなで、
フリーハンドで自分の問いに向かえるような仕事がしたい。

私が私として成長するために、
まっとうな大人になって死んでいくために、
しょぼい私にも、誰にでも、今出来ることがいっぱいあるよ、
スゴイ人かどうかに関わらず、
生きている事にはどれだけでも意味を作っていけるよ、という
当たり前のことを伝えていけるような仕事。

問題は、ブログに書いているようなことは、
自分が考える限りゴールはないから無尽蔵に書けるけど、
編集者だのIT企業の広報だのから方向転換しすぎて、
仕事として頼んでくれる人がいないこと。

って、致命的じゃん! 
仕事になるかどうかは、決定的な事じゃなくて、
誰か頼んでくれるまで、というか頼んでくれなくても、
自分で考えを紡いでいくことは出来る。
誰の役にたつとか、正解とか間違いとか、どーでもいいの(^^)。

ノートの隅っこだの日記だの落書きだのブログだの、
自分のために書くことが許されている場合は、
自分の感じ方を最後まで大切に確かめられる。
そんな時は「あやしうこそものぐるほしけれ」で、
兼好一族の仲間入り。「その気持ち、わかるわ~」って。

お金はが稼げない上に、時間もかかる。
それだけに、
自分比、すごく贅沢な、濃密な時間です

誰でも、心当たりがあると思いますが、
好きなことに取り組んでいると時間を忘れます。
私の場合は、何か気になることがあって
「何かひっかかるけど、何が気になるんだろ?」と、
その問いに向き合おうと思って書き始めることがソレ。

書き始めたら、「あ、コレってアレか!」「ソレも似てる」
「もしかして、あの時のアレだってコレかも!」
みたいに、少しずつ考えがつながって文章になり、
「うわ、夜更かししてしまった!」みたいな事がよくあります。

そういう時って、別に自分でガリガリ考えてない。
今まで考えたこともないことが不思議に浮かんできて、
いろんな考えが自動的につながっていって、
それをていねいに手繰り寄せる感じ。

ただ、手繰り寄せるのは一方向だけで、
全方位に広がっている時には、他の道は捨てることになる。
手繰り寄せるスキルが間に合わなくて、
もったいないことに、せっかくソレが訪れたのに逃げて行ってしまう。

逃がした魚は大きいって言うけど、
掴まえられなかった直観も、なかなか大きく感じる。
「あれ? 今なんかスゴイことひらめいたのに…」って。
んで、また性懲りもなく釣りに行くんだけど。

帰ってきて~~~~~~!



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