『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

白い紙と塗り絵と問題用紙

2018年09月21日 | 昼行燈より愛をこめて
ハンズフリー(というのか? 
耳元にスマホを当てなくても話せるスピーカーボタン)
で電話をしながら、手がヒマだったので、
チラシの裏に鉛筆で大きなマルを描いた。

話の内容は、将来が広がって行くような、
自分のやることがクリアにあんっていくような、
すごく楽しい電話で、
それにつられて、手もワクワク動く。

動く動く。どんどん動く。
気が付けば、いつの間にか、
こんなことになっていた。



もっと躍動的な気分の話をしていたんだけど、
思いがけず、幾何学的な模様になっていた。
でも、フリーハンドのゆるさが、キレイ。
マルってのは、どう分割しても、
どう付き合っても、美しくなるのかも。


普通に暮らしていたら、いつだって、
解けない問題用紙に囲まれているけど、
白い紙が手元にあるって、いいよな~。

向こうから正解を迫って来ないし、
こちらが気を向けるまで、主張もしない。

白い紙は、自分の鏡だね。
紙の面積は、うーん、自分に許された時間?
その間を、どう動こうと自由。


じゃあ、塗り絵は、何だろ?
誰かの意図で制限された中での自由とは言え、
思い切って安心して動ける。

どんな色を塗っても、
自分の画力に関わらず、キッチリ仕上がる。
だけど、自分のことはわからない。

ということは、制限する人が、
損得や快・不快、じゃなくて、
受け取る人の楽しさや幸せを意識して制限するなら、
制限は、己をわかっていく成長過程の中で、
保護柵の役目を果たしているね。

子どもが、そして私が、
白い紙と塗り絵、どのくらいの配分で必要としているのか。
そんなことも意識しながら、
タイミング良く渡せたら(描けたら)いいな~
と思ったのでした。

あ、問題用紙もあるって、忘れてた(^^;)!

問題用紙は…、
私が与えなくても、どこかから降ってくるものか。



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