『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学3章_03

2011年08月14日 | 『自由の哲学』
何かの物事に関して、
自分で納得できる考えが見つかる前と後とでは、
物事の在り方がまるで違う。

単に見る時には、出来事を成り行きのままに追うことになる。
考えの助けがないと、その出来事との関わりは持てない。
玉が玉に当たるのを、ただ見るだけだとすれば、
当たってから生じる玉の動きも、
実際に玉が当たるのを待って、
どう動くのかを、いつまでも目で追うだけだ。

玉が玉に当たるその瞬間に、視界が遮られたら、
そこから先にどう玉が動くのかは、知る方法もない。

そうではなくて、、
視界が遮られる前からそれぞれ関わりや出来事について、
自分なりの考えが見出されていたら、
視界が遮られたとしても、その後どう玉が動くか、
自分の考えを基にして、それなりには何か言えるだろう。

ただ見るだけで、何の考えもなければ、
それぞれの出来事や、互いの関連などは、何も見えない。
「見る」ことに「考える」ことが重なって、はじめて、
それがどうなっていくのか、見てとることができる。

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