『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「主婦」「主夫」という役割の誇り

2021年02月05日 | 考える日々
告白すると、仕事してた時、
「主婦」を少し下に見てました。
「私は幼児を抱えて仕事もして大変。
主婦って楽そうでいいな~」みたいな。

仕事してても家にいても、
頭の芯がジンジンするくらい大変なことは起こるし、
大変だから自信持てる、という話でもない。

どっちも大変だし、やりがいもあるのに、
勤めを辞めた今、
職業欄に「主婦」って書くのに
少し抵抗がある。

実態は、家事、育児、家族の気持ちのメンテナンス、
ときどき老親のご機嫌伺いや学校のPTA関係、
庭仕事、ライター、学ぶ人、月2~3回の小さい勉強会、
毎日ブログ、週2~3回note投稿、その他もろもろ、
…みたいな感じ。

そんなあれこれ、
職業欄リストで選んだら、何になるんだ??
だから、あえて「主婦」を選んでみて、
気持ちの温度変化を確かめたりもする。
…という程度に、素直に「主婦」と書けない。

だいぶん慣れてきたけど、
「IT系の会社で広報の仕事してた」とか、
「フリーで編集者してた」とか言う時ほど、
まだ誇り高くは書けないんだよ~(^^;)。

なんかおかしいな~。
実際は、子どもを育てるとか、
家庭を安全で暖かい巣にしておくのは、
家族のためにも、安全な社会の基盤としても、
すご~~く大事なはずなのに。

子どもが小さい頃は、
仕事してる方がよっぽど楽だったから、
(たぶん親の介護が必要になった時も?)
「主婦って楽でいいな~」ってのも言いがかりだし。

いや、小さい子の相手するって、ホント大変だもの。
自分が姿を消すと子どもが泣くから、
トイレに行きたいのすらガマンして、
膀胱炎になる人が多いくらいに。

もっと自信もって
「主婦です!」って言えばいいのに、私。
自分が兼業主婦になった時、
「あんまり稼いでないから」という理由で
堂々と言えていない。

長い間、外で働いている間に、
会社員の価値観を内面化してしまったみたい。
お金を稼ぐ人はエライ、という価値観。

だいぶんいろいろ考えて、勉強して、
「成績のいい子はエライ」という価値観からは、
いい感じで距離を置けているのに。

会社は機能集団なんだから、
お金を稼ぐ人がエライのは当たり前。
お客様や社会に役立ってナンボだ。

でも、家庭は違う。
役に立たなくても、手がかかっても、
メンバーでありさえすれば、愛し愛される。

そこを混ぜちゃって、
稼ぎの量と大きな顔できるのとが比例して、
今、堂々とできてないんだろうなぁ。

ちゃんと切り分けて意識しておこう。
「職場では、人様に役立って稼いで来るのが大事」
「家庭では、メンバーが安心できる事が大事」って。

あ、逆に、共同体としての家庭で、
機能集団的な有能さを話しても、
なんとなくシラケちゃう事がある。
あれも、
ふたつを混ぜちゃってるからなんだろうな。

私は稼ぎが悪いことに、
なんとなく後ろめたさを感じるけど、
外での価値観に染まってない人は、
どう感じるんだろう?

1世代上の人としゃべっていたら、
「子どもがグレずに育ったのは私のおかげ」だから
「家でも大きな顔してるし、友達とバンバン旅行も行くで!」
と笑ってはったけど、
そっちの方が素直な気がしてきたな~。

あ、そっか。
上の世代は、妻が外で働くと、
「甲斐性がない」って悪口言われてたか。
「女房子供を養えることが誇り」みたいな世代。

ちょっと下の私たちの世代は…そうだな~。
仕事も家庭も、
どっちかだけじゃなくて両方やってる。
両方の大事さ、大変さを互いに知ってる。
だからこそ、相手への深い感謝を持てる。

そう思えたら、
時代はいい方に進化してるよね?


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2 コメント

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Unknown (ZIP)
2021-02-05 16:17:42
GDPには反映されないが、それなくして生産性
を見込むことは決してできない。
進化というよりも、労働力が商品化された事による歪な社会への否応の無い適応にしか思えない。
呑気な団塊世代の多くはそれが理解できない。
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Unknown (オキツ)
2021-02-05 22:49:01
社会にはいつでも何らかの課題があって、そこに適応しながら人は生きているのでしょう。そして、理解できた人の中の勇気ある何人かが、何らかの行動をすることで、社会はその課題を克服してきたのでしょうね。
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