『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

カリスマの人も言うことは変わる

2021年02月04日 | 考える日々
よく「シュタイナーはこう言ってます」
っていう言い方をしたり聞いたりします。
何かを理解したい時に
「シュタイナーはどう言ってますか?」とか。

別にシュタイナーに限らず、
自分の好きなタレントさんとか尊敬する人とか、
カリスマ的な学者とかの言葉を手掛かりに、
モノゴトを理解しようとする姿勢。

今日参加していた、とある講座で、
ワーグナーの音楽についてのシュタイナーの見解を、
シュタイナーの若い頃と、晩年との言及で
比較してみてたんですね。

そしたら~。
若い頃と晩年とで
ワーグナーに対する見方が真逆に変わってた!
「シュタイナーも最初から全部
見通せてたわけじゃないんだ~」と、
ちょっと嬉しくなった。

なんか、初々しいわ~(^^)。

10年20年経てば、時代背景も変わるし、自分も成長する。
カリスマ的な人が20歳の頃に何かを言っていたとしても、
60歳でも同じことを言ってるかというと、
当然、変わってくることもあるはずで。

カリスマの人の言葉って鵜呑みにしやすいから、
「カリスマだって、年を重ねたら成長する。
カリスマだって、時代と共に変わりゆく」と知っておく事は、
自分なりに考えるのに役立ちそう。

かと言って、「こんなに間違えてる」と見下して、
カリスマを批判することで自分を賢そうに見せるのも、
なんか、気持ちが貧しいなぁ~って、寒々しくなる。

何か心に響いた言葉があれば、
いったんその言葉を、シンパシーを持って受け入れて
自分の身の回りの経験と重ねて咀嚼してみて、
その後で「じゃあ、このケースはどう?」って
立ち止まって発展させていくスタンスが取れたらいいな。

カリスマだって成長する。とは言え、
「自由の哲学」は、30歳くらいで書いて、
55歳くらいで改訂版を出した時に、
「丁寧に読み直してみたけど、
ほとんど変えるところがなかった」と、
序文に書いてたなぁ。

各章の最後にいくつか補足が書き加えられてたけど、
それも、
「前の表現だと誤解されやすいから、
もうちょっと丁寧に説明するね」というスタンスで、
内容は一切変わらない、と。

すごいわ。

私なんか、変わりまくりだからね。
身の程もわかってきたし、
役割も変わってきたし、
生活だって変わってきたし…。

そっか。
約50年生きてきた中で変わらないところが、
私の私たる所、なのかな。
「私が生きる意味」とか「人間って何?」とか、
「ホントウの事とは?」とかが気になるところ。
何かを強制されるのも、人間らしくない扱いも、本当に嫌い。

あ~でも、ずっと変わらないけど、
今からでも変えたいところがあるんだよね。
「人前で理路整然としゃべりたい」とか、
「ビジョンを持って勤勉に行動したい」とか、
「リーダーシップを持って物事を作り上げたい」とか、
「自分から人ときちんと付き合い続けたい」とか…。

あら、変えたいところの方がいっぱい出て来る(^^)。
50にもなって、変えたいところが
リストになるほど出て来るのって、
我ながらバカっぽいけど。

あ、でもそれは自分の教育目標になるのかな?
そう考えられるなら、
変えたいところがある方がいいね。

そういえば、「人を否定しない」なんてのは、
30年くらいかけてやっと身についてきた姿勢。
それと引き換えに自信がなくなってきてるのは、
ちょっと考えものだけど。

あれ?何の話だっけ?

そう。彼の影響を受けた人たちが、
いろんな分野で社会変革をしている
その大元のシュタイナーの言葉でさえも、
「最初と最後で変わったりするんだ~」っていうのが、
すごく新鮮で初々しかったから、
ご紹介したかったのでした。

カリスマも年と共に成長・変化する。
これは、覚えておきたい事です。

特に、
言葉の断片だけ切り取って
鵜呑みにしそうになったり、
誰かに反論するために
他人の言葉を使いそうになった時にはね。


Dariusz SankowskiによるPixabayからの画像)


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