このブログのタイトルも
「自由の哲学を読む」なんですが、
今日、ふと思ったことも、
「やっぱりこの本、いいなぁ」ってことでした。
私もしつこいな(^^)。
なんで、この本に魅かれるんだろう。
10年前と今と、変わったのかな?
10年前は「これはきっと私にとって大事な本になる」
っていう予感だけがあって、
中身は全然わかってなかった。
だって読み始めてすぐそう思っただけで、
まだ中身は数ページしか読んでなかったから。
けど、今は、何度か、
粗くor詳しく、クールにorホットに、
一人でorみんなで、いろんな形で読んでみたから、
ちょっとだけ、この本と親しくなったと思う。
でね。
理屈じゃなくて、ひとつ気づいたんです。
この本に魅かれる理由が。
それは、温かいから。
この本に出合うまで、
物語以外のものを読む時には、
「なんでこの社会はこんなに滅茶苦茶なの?」
っていう問題意識がありました。
んで、その答えを探していたように思います。
それは、つまり、
自分は何もしないまま、
政治家だの資本家だのを、
外から見て点数をつけたり、
「わかってない」って批判したり、
「やっぱりな」なんて冷たく評価したり。
イケてないわ~~自分。
オマエの方がよっぽどアカンやろ、と
今なら思う。
人の事、ゆーてる場合か?
当時の私はわりと、自分を棚に上げ、
誰かに自分の答えを代弁してもらいたくて、
外に正解を探していたような気がします。
正義感が強くて、弱者にシンパシーを感じて、
でも、自分のことは全然わかってない。
今でも…まぁ、そういう感じはあるんですが。
で、30代の後半に
「自由の哲学」に出合いました。
ちょっとビックリしたのは、
この本、そういう冷たさがないんです。
外から見て批判するんじゃなくて、
自分たちが生きる社会を中から見てる。
何かを評価して点数付けるんじゃなくて、
「私」が「自分たちのため」に何ができるのかを、
考えて、実際にやってみたくなる。
いろんな問題意識を持つ人間が、
「それは間違ってる」と「外から批判」する社会と、
「自分がいいと思うこと」に向けて「内から動く」社会と、
どっちが、より、みんなで幸せになっていけるかというと、
断然後者です。自分が動く方。
自分のそういう
基礎的なスタンスを応援してくれる姿勢が
この本には全編に満ちています。
やりたい放題やる感情の奴隷でもなく、
南の島であんまり働かずに遊びたいという身体の奴隷でもなく、
自分が必要だと考えていることを、
実際に実現していけるような、自由な行動。
読めば読むほど、
そんな身の程知らずなことをしたくなって、
でも、自分を真っすぐに戻してくれる力があって、
「身の丈でできることもあるでしょ?」
って考え直すふうに誘ってくれるから好きなんだな~と。
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