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『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

感情的な判断、心のこもった判断

2020年09月29日 | 考える日々
普遍(一般)人間学の5講を読んでいたら、
感情の働きについて書いてあった。
その中でも、感情と判断の関わりについて書かれている箇所で、
伯母のことを思い出した。

何かを判断する時に、感情をまじえていいかどうか。
普通、感情的な時には判断力が鈍る、と考えられる。
法律は誰にでも平等に適応されるのが正しくて、
感情によって有罪・無罪が変わったら困る。

とはいうものの。

平等に法を適応するだけが正しい判断なのか。
感情が納得するかどうかが、
判断の正しさを担保するのではないのか。
そんな事が書いてありました。

感情的な判断と、理性的な判断。
心のこもった判断と、機械的な判断。

どちらも
前半は「判断材料に感情もカウントする」状態で、
後半は「判断材料に感情はカウントしない」状態です。
二つとも同じ内容ですが、イメージはずいぶん違います。

今は、後半が正しいと思われがちです。
教師が子どもに対応する際に
感情に左右されず、誰にでも同じ対応をしていたら
「ひいきしてる」なんてひがまれません。
だけど、それは本当に正しいのか。

それで考えてみたいことがあります。
伯母が亡くなる前の病院の対応についてです。

今は、どの施設も病院もホームも、
コロナの影響で面会ができない、
という話を聞きます。

病院でクラスターが発生したら、
医療現場も福祉現場も影響が大きすぎるもの。
面会禁止、というのは
合理的な判断と言えるでしょう。

ところが、伯母の入院先は、普通でした。
不思議なほど普通に、面会に行くことができました。
入口で手の消毒をして、マスクをして、
面会者の名前や関係性、熱を記入する用紙を書けば、
複数人で病室にも入れたのです。

患者の安全を第一に考えて、
病院として合理的な判断をすれば、
面会禁止、という判断になったはず。
だけど、それで感情が収まらないのが人間です。

ターミナルケアの病院で、
残り時間がわずかだとわかっている人にも
「コロナをうつしてはいけないから面会禁止」。

そんなことをされたら、
間違いなく感情が悲鳴を上げます。
感情が納得できていなくても、
合理的に判断した答えが正しいと言えるのか。

「普通に面会できる」ということが、
どれほど人間らしい判断だったか。
行く者も残る者も、
その判断にどれだけ救われたか。

伯母を見送って「ありがとう」と思えたのは、
面会させてもらえたおかげだと思う。
なんということもない時間だったけど、
思えば、かけがえのない特別な時間だった。

誰にも平等に適応される、合理的な判断。
旅立つ者と残される者の感情に寄り添った判断。

このふたつを並べて見てみると、
感情を置き去りにしない判断は、とても人間的だ。
それこそ、人間にしかできない判断だ。
人間性に満ちた判断には、
(エゴではない)健やかな感情が豊かに通っている。

とは言っても。

この人間性に満ちた判断は、リスクだらけだったはず。
何かあった時は、院長が責任を問われるだろう。
風評のリスク=経営の危機だって大きいだろう。
他の患者さんへの配慮もあっただろう。
スタッフだって、自分の感染や家族への感染も心配だったはず。
トップの覚悟は、並大抵ではなかっただろう。

この場にふさわしいことは何か。
誰かに決めてもらえたら、ある意味ラクだけど、
自分たちが納得するまで考えて答えを出すのは大変だ。
間違う可能性もあるし、その間違いは自分の責任だから。

もちろん、決して持ち込まないように消毒しまくった。
それでも「万一」ということは起こり得る。
だからこそ、
院長はじめ、現場のスタッフのみなさんに、
感謝と尊敬の念がじわじわと湧き出してくる。

今日は、先日亡くなった伯母の誕生日。
まだこっちの様子もどこかでキャッチできてそうな伯母に
「ハッピーバースデー♪」を短調アレンジで弾いて、
「ありがとう」と伝えておきました。

今ごろは、あっちの世界におぎゃ~って生まれて、
それはそれで、慣れない世界で大変かなぁ。
それとも、相変わらず
マイペースでみんなを巻き込んでワイワイ騒いでるんだろうか?

そんなわけないか(^^)。


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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数学で微積分を習ったとき (narkejp)
2020-09-29 06:06:51
区分求積法で曲線を拡大して直線として扱いますが、腑に落ちなかった。曲線はいくら拡大しても曲線で、直線として扱うなら誤差があるのでは、と考えたからです。ところが、一円玉の縁を顕微鏡で拡大して見ると、たしかに直線、まっすぐ! ストンと腑に落ちました。理屈ではわかるが腑に落ちないことが、経験を通して感情となっているものを動かしたのでしょう。合理的判断=理解、感情も伴う判断=納得、ではなかろうか、と考えています。
ターミナルケアの病院における対応、なるほどと興味深いお話でした。
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Unknown (ella)
2020-09-29 07:09:54
感動はありますが・・・
理動というものは言葉すら存在しないかな・・・

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narkejp様 (オキツ)
2020-09-29 10:40:26
コメントありがとうございます。
理解と納得。そうですね。理解だけで進まないといけない事も多いけど、自分のできる範囲は納得しながら進めたい。そう思います。
区分~~法?何の事かわかんない~~(^^;)。えーと、たとえば顕微鏡サイズとは逆に、地球サイズの巨大なノートに直線を描いたら、いつの間にか巨大な円になりますけど、それも関係あります? 
メタ次元で考えたら別の答えが見えるのかもしれませんね。
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ella様 (オキツ)
2020-09-29 10:54:58
またまたありがとうございます。
「理動」という言葉はない…なるほど。人は本来、感情を伴っている時しか動けないのかもしれません。あの子が好き!とか、仕事辞めたい!とか(^^)。理性だけで動く時に病んでいくのでしょうか。
感情を伴って人間的な判断で生きていこうとすると、往々にして理性と反対の事を選びます。程度問題ですが、それもひとつの幸せです。
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