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『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学12章_11~12段落

2015年10月09日 | 『自由の哲学』

倫理の個人主義は、進化論と矛盾しない。
進化論と直につながっている。
原生物から人へとたどるヘッケルの系統樹は、
自然法則に則って進化の系譜の延長として、
倫理の個人主義につながっていく。

人の進化は、
親から子を引き出す、という必要はない。
物理的な生物として人を見ると、
確かに、親から子が出てくる。

同じように、
一人ひとりが、それぞれに考えて
それぞれなりの倫理を作りだすことで、
倫理的な行動を生み出せる。

倫理の個人主義は、進化していく先端だ。
今の進化論から、同じ結論を引き出すこともできる。



動物までは同じ特徴を持つ一群のの生き物を
「種」と呼ぶ。
耳の長いのは「うさぎ」という種、
おなかにポケットがあるのは「カンガルー」という種、
というふうに。

爪や牙がなくて毛皮もなくて、
言葉を使う生き物を「人」というなら、
物理的なその特徴を持つものは
確かに「人」という種だ。

だけど人は、
物理的な生物としての特徴や集団意識だけじゃなくて、
一人ひとりが考えて行動することで、
一人ひとりが、ひとつの「種」になり得る。

進化論は、そこまで、含む可能性がある。
その「進化論」は、
今の学校で勉強する進化論の先だけど、
まったく矛盾はない。
いわば、倫理の個人主義は、精神の進化論。

実感として進化できるもんね、人の心の成長。
生きている今、私の中でも、あなたの中でも。
一つの行動に、意識的になることによって、
そして、理想を想い描くことによって。

親世代の倫理から子世代の倫理が出てきてもいいし、
まったく独自に子世代が倫理を築いて行ってもいい。
ただ、自由にとって大切なのは、
その人一人ひとりが、自分を動かしていく原動力が、
自分で考え、つかんだ倫理によっているか、
というところだ。

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