倫理の個人主義は、進化論と矛盾しない。
進化論と直につながっている。
原生物から人へとたどるヘッケルの系統樹は、
自然法則に則って進化の系譜の延長として、
倫理の個人主義につながっていく。
人の進化は、
親から子を引き出す、という必要はない。
物理的な生物として人を見ると、
確かに、親から子が出てくる。
同じように、
一人ひとりが、それぞれに考えて
それぞれなりの倫理を作りだすことで、
倫理的な行動を生み出せる。
倫理の個人主義は、進化していく先端だ。
今の進化論から、同じ結論を引き出すこともできる。
※
動物までは同じ特徴を持つ一群のの生き物を
「種」と呼ぶ。
耳の長いのは「うさぎ」という種、
おなかにポケットがあるのは「カンガルー」という種、
というふうに。
爪や牙がなくて毛皮もなくて、
言葉を使う生き物を「人」というなら、
物理的なその特徴を持つものは
確かに「人」という種だ。
だけど人は、
物理的な生物としての特徴や集団意識だけじゃなくて、
一人ひとりが考えて行動することで、
一人ひとりが、ひとつの「種」になり得る。
進化論は、そこまで、含む可能性がある。
その「進化論」は、
今の学校で勉強する進化論の先だけど、
まったく矛盾はない。
いわば、倫理の個人主義は、精神の進化論。
実感として進化できるもんね、人の心の成長。
生きている今、私の中でも、あなたの中でも。
一つの行動に、意識的になることによって、
そして、理想を想い描くことによって。
親世代の倫理から子世代の倫理が出てきてもいいし、
まったく独自に子世代が倫理を築いて行ってもいい。
ただ、自由にとって大切なのは、
その人一人ひとりが、自分を動かしていく原動力が、
自分で考え、つかんだ倫理によっているか、
というところだ。
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