『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

そりゃ、お金にならないワケだ!

2020年09月05日 | 考える日々


会社時代の同じ部署の先輩に
「今、何してんの?」と聞かれた。
私は広報担当だったんだけど。

何も考えず
「何かを広めるためじゃなくて、
深めたり、暖めたりするために、
ちくちく書いてます」って答えた。

返事しながら、
「うわ~、そっか、
そういうことだったのか」
と思った。

自分で考えたわけじゃないのに、
妙に当たってる気がして。

不思議だな…。


そう言えば、最近よく考えるんだけど、
「文章を書く」という行為には、
目的が大きく二つありそうな気がします。

一つ目は誰かに何かを伝えるために書くこと。
いわゆる学校での作文や小論文、レポートや感想文、
新聞や雑誌、WEBサイト用の記事も、大体こっちです。

自分がそれについてどう考えているか、ではなくて、
先生だったり、読者だったり、
提出する相手が満足しそうなことを想像しながら、
相手の立場になって書く。

それほど面白くなかったとしても、
読書感想文には「〇〇に感動しました」と書いたり、
研修の後に、窮屈だなぁ~と思いながら
「個人情報を守るためには…」とか書くアレ。

これって、
「表面的には、アナタの考えに合わせておくから、
私の居場所を確保しといてね。
私の本心には立ち入らないでいいから」
っていう事かも。え~~、やだ~~!!

もう一つは、
自分の気持ちを整理したり、
考えを深めていくために書くこと。

誰にも見せない日記とか、メモ、
アクセス数を考えないブログも、
こっちに入るかな。

もつれた糸をほどくように、
自分でも何が出て来るか知らないまま、
ていねいにていねいに糸を手繰り寄せていく。

その作業を誠実に続けていると、
たまに自分でも
「ええっ、こんなの出てきたよ!」
と驚くような言葉プレゼントされたりします。

さっきの
「何かを広げるためじゃなくて、
暖めるため、深めるために書く」
ってのもコレだったのかも。

当然、私が好きなのはこっち。
自分のために書いてるんだから、
そりゃ、お金にならないワケだ(^^;)。

でも、
自分の深いところから出て来る言葉は、
他の人の深いところと響き合う
ってことも、わかってるんだ~。

相手のニーズと、自分の深いところを折りあわせて
なんとか形にしたいと思うから、
仕事の作文は、やたらと時間がかかる。

あ~あ、作文しかできないのに、
人の求めに応じて書くのが遅いとは!

一体どーすりゃいーんだ、セニョリータ??


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