会社時代の同じ部署の先輩に
「今、何してんの?」と聞かれた。
私は広報担当だったんだけど。
何も考えず
「何かを広めるためじゃなくて、
深めたり、暖めたりするために、
ちくちく書いてます」って答えた。
返事しながら、
「うわ~、そっか、
そういうことだったのか」
と思った。
自分で考えたわけじゃないのに、
妙に当たってる気がして。
不思議だな…。
そう言えば、最近よく考えるんだけど、
「文章を書く」という行為には、
目的が大きく二つありそうな気がします。
一つ目は誰かに何かを伝えるために書くこと。
いわゆる学校での作文や小論文、レポートや感想文、
新聞や雑誌、WEBサイト用の記事も、大体こっちです。
自分がそれについてどう考えているか、ではなくて、
先生だったり、読者だったり、
提出する相手が満足しそうなことを想像しながら、
相手の立場になって書く。
それほど面白くなかったとしても、
読書感想文には「〇〇に感動しました」と書いたり、
研修の後に、窮屈だなぁ~と思いながら
「個人情報を守るためには…」とか書くアレ。
これって、
「表面的には、アナタの考えに合わせておくから、
私の居場所を確保しといてね。
私の本心には立ち入らないでいいから」
っていう事かも。え~~、やだ~~!!
もう一つは、
自分の気持ちを整理したり、
考えを深めていくために書くこと。
誰にも見せない日記とか、メモ、
アクセス数を考えないブログも、
こっちに入るかな。
もつれた糸をほどくように、
自分でも何が出て来るか知らないまま、
ていねいにていねいに糸を手繰り寄せていく。
その作業を誠実に続けていると、
たまに自分でも
「ええっ、こんなの出てきたよ!」
と驚くような言葉プレゼントされたりします。
さっきの
「何かを広げるためじゃなくて、
暖めるため、深めるために書く」
ってのもコレだったのかも。
当然、私が好きなのはこっち。
自分のために書いてるんだから、
そりゃ、お金にならないワケだ(^^;)。
でも、
自分の深いところから出て来る言葉は、
他の人の深いところと響き合う
ってことも、わかってるんだ~。
相手のニーズと、自分の深いところを折りあわせて
なんとか形にしたいと思うから、
仕事の作文は、やたらと時間がかかる。
あ~あ、作文しかできないのに、
人の求めに応じて書くのが遅いとは!
一体どーすりゃいーんだ、セニョリータ??
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