『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

12歳、自立への記念日

2019年07月24日 | 中学生と育つ
プレ反抗期。プレ思春期。
中学1年生の夏休み。

先日、いつも温厚でゴキゲンな子どもが、
父親に向かって
「もう! 私の机、触らんといて!」とキレました。
おお~~、珍しい!!

5年生くらいまでは、
机の上が散らかってるのを見かねた夫が
ちょちょっと整えておいたら、
「ありがとう」とお礼を言っていたのに。

6年生くらいまでは、
机の上を触られるのも、部屋に入られるのも
なんとなくイヤがっていたけど、
ため息まじりではありつつ「…ありがと(ふぅ)」と、
いちおー、形だけは感謝していたのに(^^)。

中一の夏休み。
突然の「さわらんといて!!!」宣言。

最近、何度か迷惑そうなそぶりを見せてたんだけどね。
その時には、夫も気づかずに
「じゃあ、自分でちゃんと片付けたら?!」
と、至極まっとうに言い返していたけれど、
今回は、子どもの勢いに思わず絶句。

おお~~。
自立へのステップを
ひとつ、上がったのですね、アナタ。

『普遍(一般)人間学』を読んでいる場でそんな話をしていたら、
「大人と一体だった子どもが、
いよいよ自分は自分として分離していく目印ですね」と。

そして、
「いったん離れるけど、そこから愛情が生まれてきます。
親子が一体化していると空気みたいなもので、気づきませんが、
一度離れると、今度は相手を愛するということが始まるんです」と。

ほぉ。
反抗期って
「親を乗り越えて自分で歩き出すために
親が踏み台になること」
みたいな、ガマンを伴うイメージだった。

だけど、そういう言葉で表すと、ずいぶん変わってくる。
反抗期は、身体の誕生と同じく、心の誕生。

ひとつだった親と子の体がふたつに分かれる時に、
互いの生死を賭けた生みの苦しみがあったのと同じく、
それまで喜怒哀楽をひとつにしてきた心が分かれる時にも、
互いが生まれ変わるほどの苦しみがある、と思えば納得できる。

生まれた後、母の命が衰退していっても
新しい命が大きく成長して行くように、
新しい命の中に生まれた新しい心も、
これから、どんどん大きく成長していくだろう。

そして今度は
「親が子どもを愛するのは当然(お互いぬくぬく)」
という状態を脱して、
別人格として尊重し合いながら、一緒に居られるんだ!
という、新しい楽しみに変わっていく。

その時、自分が親としてどういう人間で近くにいるのか。
見られるに価する人間でありたい、と思う。
でも、もう、親を見習う時期じゃないんだから、
私がダメダメでも、そこから学んでくれるだろうな、とも思う。

反抗期。
人間の成長のためにも、
親子関係の刷新のためにも、
とても本質的で大切なこと。

そういう、暖かくて包括的な視点、
永遠に育っていくものとして人間を見晴るかす視点が、
人智学の大好きなところ。

離れてから愛することが出来るようになる、
という言い方をするなら、
母である私は、まだ反抗期のターゲットになっていません。
だから、もうしばらくは空気のように、
子どもが安心して呼吸できる環境でありたいと思います。


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