『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学15章3段落_3

2016年09月27日 | 『自由の哲学』

一元論の見るところ、科学でも
覚えを記録して説明するだけが客観的で
正しい現実なんだ、と制限し、
感和えでそれを補わないのは、中途半端だ。

しかし、また考えだけでそれに見合う覚えを探さず、
覚えることができる世と考えをつなげる
あらゆる網の目のどこにも当てはまらないもの、
それも中途半端だ。


前の文では、考えはただの思い設けじゃなく、
リアルな物理の世と精神の世をつなぐものだ
という話でした。

逆に、今度は、物理の世を覚えること。
詳細に観察をすることについて。

観察結果だけを記述して、
それについて考えない=その法則を見いださない
という状態は、中途半端だ。

やりがちなのは、物理の世界の調査結果から
都合のいい現実だけを抽出して加工すること。
自分でも、
都合のいいことを抽出したってわかっているのに、
客観的な観察結果だと思いこんでしまうこと。

考えだけで、それに見合う現実を見いださないこと、
覚えだけで、それについての考えを錘がないこと。
どちらも中途半端だ。

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