一元論の見るところ、科学でも
覚えを記録して説明するだけが客観的で
正しい現実なんだ、と制限し、
感和えでそれを補わないのは、中途半端だ。
しかし、また考えだけでそれに見合う覚えを探さず、
覚えることができる世と考えをつなげる
あらゆる網の目のどこにも当てはまらないもの、
それも中途半端だ。
※
前の文では、考えはただの思い設けじゃなく、
リアルな物理の世と精神の世をつなぐものだ
という話でした。
逆に、今度は、物理の世を覚えること。
詳細に観察をすることについて。
観察結果だけを記述して、
それについて考えない=その法則を見いださない
という状態は、中途半端だ。
やりがちなのは、物理の世界の調査結果から
都合のいい現実だけを抽出して加工すること。
自分でも、
都合のいいことを抽出したってわかっているのに、
客観的な観察結果だと思いこんでしまうこと。
考えだけで、それに見合う現実を見いださないこと、
覚えだけで、それについての考えを錘がないこと。
どちらも中途半端だ。
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