『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

世の中を肯定的に見る練習

2020年05月29日 | 考える日々
(数日に1回、散歩ついでに誰かが摘んできた花で更新する一輪挿したち)

今日は神戸シュタイナーハウスの大人クラス。
オンラインで1時間半の贅沢な時間です。

自分について、今後やっていきたいことについて、
各自でコラージュを作ったので、
それをそれぞれ発表して…
って、中年でも今後を語りあう贅沢よ(^^)。
…後半は、
世の中を肯定的に見る練習を、
みんなでやってみました。

いつも言うことですが、心のままに動くのは、
刺激に反応しているだけで、自由な行動ではないですよね。
んでもって、ムカついたから怒るってのも、
反応してるだけですよね。

蚊が刺したからパチンと叩く、
仕留め損ねて「チッ」、と言いながら、
テレビを見続ける、という程度のこと。

そうではなくて、意識して見ることで、
自分の本当にやりたいこと、
必要なことをすることができる。

「あ、今、蚊を叩き損ねた」と意識できたら、
蚊が入って来ないように網戸を閉めるとか、
かゆみ止めを探しに行くとかができる。
蚊のせいにしてイライラせずに、
自分でできることが見つかる。

そんな風に、「意識してみる」ってのは、
なかなか大切なことだと思うのです。

「世の中を肯定的に見る」ってのも、
意識してみることから始まります。

たとえば、(パチンコ好きの方、ごめんなさい)
「第2波が来るっていうのにパチンコ屋に行く人」
を肯定的に見ていくと、いい悪いなんてありません。

その人たちも、
自分にパチンコが必要だから行ってるわけで、
平常時なら「大きなお世話」。
今、問題にされてしまうのは
「感染防止にその行動は不適切」というだけのことで、
その人たちに「悪い」というレッテルを貼るのは、なんか違う。

まぁ、そんな心の筋トレをした後で、
今度は「世の中を肯定的に見る」の代わりに、
「自分を肯定的に見る」をやってみました。

自分を手放しで賞賛する人って、なかなかいない。
いたとしても、
ホメて欲しくて無理してるとか、
まぁ、それって逆に言えば自信がないんだし。
逆に卑下して「無能なので責任取りません」って表現したり。

まぁ、誰にでもある心のアヤを意識しつつ、
心の筋トレワーク「自分を肯定的に見る」。
これ、その場でやってみても良かったんだけど、
自分で2週間取り組む方が、変化がおもしろいかな、と、
性懲りもなく宿題にしてみました。

いや、大人クラス、
その場では盛り上がって
「よし、今度はコレに取り組もう」って言うわりに、
みなさん、宿題忘れてばっかりなんだけどさ(^^)。

こういう、誰かに迫られるでもなく、責められるでもなく、
ゆる~く自分を意識していくのって、
安全安心な成長の道筋なんじゃないか、と思うわけです。

誰でも「やってみよう」と思うだけでトライできるので、
良かったら、
「世の中を肯定的に見てみる」とか、
「自分を肯定的に見てみる」とかに、
取り組んでみませんか?

これは、
世の中が肯定的に見えるとか、
自分に自信ができるとか
…の効能を求める取り組みじゃなくて、
ただの心の筋トレです。腕立て伏せです。腹筋です。

外の出来事に接して、心が勝手に反応して生まれる
「あれイヤやなぁ」とか、「自分に自信なんてないわ」という
それぞれの感じ方。

それを、改めて意識的に、考えてみることによって、
思い込みから自由になって、
本来の位置にマッピングし直す、という、
思考と感情のエクササイズです。

おもしろいので、
興味のある方はやってみてください。
「する」と決めて、「やってみる」ことは、
継続できなくても、自分の力になるようなので(^^)。


余談ですが、本日のレタスチャレンジ。
(傷む前に無駄なく使い切るぞ!)

昨日と今日の比較。
とりあえず、大きなザルに乗る程度に減りました。
 
今日は大盛りレタスの上に、
スペアリブと、掘りたての新ジャガ。
ショウガたっぷりでこっくり煮込んだお肉を受け止めるレタス。
タレが絡んでウマいっす~!! The 適材適所!



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