『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学_1章_6

2010年12月28日 | 『自由の哲学』
ハルトマンは「人の欲(意志)は、原因と気質とのふたつに左右される」と言う。誰でも同じ反応をする時、または人の反応がほとんど同じと言えるくらい似ている時、人の欲(意志)は外からの原因で決まると見える。しかしまた、人それぞれの何らかの思いが原因となる時もある。人がその人なりに何かを思い、いてもたってもいられなくなってする時、人は外からではなく内からの気質・性格によって決まると見える。

※3行目「人は外から迫る想いを」とは、何でしょう?
たとえば他の人に「バカ」と言われた時の、その他の人から向けられた「おまえはバカだ」という想いのことや、「ここに居なさい」と居心地の悪いところに留まらせようという想い、匕首突き付けられつつ「秘密をしゃべりなさい」と言う状態のこと?「思い」と「想い」はどう使い分けられてる?

外から何か迫られた時に、それぞれの性格によっていろんな反応をする(素直に聞き入れたり、腹が立ちつつ我慢したり、カッとなって反抗したりする)し、その行為の原因は自分なんだから、自分は自由だ、つまり、外からの原因に左右されてるだけじゃないと信じる。

まことはしかしハルトマンによればこうだ。「自分で何かを思って、それによって行動するのは、たとえわたしたちでも自由の意志によるのではなくて気質・性格にコントロールされるままで、自由なんてとうて言えない。

ここでも同じように、自分できちんと動機を意識しているのと、自覚なしに周囲に踊らされている場合との違いが、まったく考慮されていない。

※動機を意識していない状態は、たとえばオムツが濡れて「替えてくれ」と泣くあかんぼ、蹴られて転がる石、おなかがすいて草を食べる動物、毎年律義に流行りものを追いかける状態や、興味もないのについているテレビを眺め続ける時などなど。
動機を意識している状態は、町をキレイにしたいと通りすがりにゴミを拾う時、自由についてもっと理解したくてムズカシイ本を読む時、お客さんに喜んで欲しいとおいしい料理を作る時、給料は安いけど社会に必要だと思うからここで働こうと思う時、などなど。

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2 コメント

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Unknown (オキツ)
2011-04-01 06:37:39
最初の「ハルトマンは~」の最後の文、
「人がその人なりに何かを思い、いてもたってもいられなくなって何かをしようという気持ちになったと意識するところ、人は外からではなく内から決まると見える」かな。
「内から」って、気質とか性格っていうより、考えることとか、そういうことかも。

2番目「外から何か迫られた時に~」は、
人によって反応が違うんだから、自分で決めてる、強制されてるわけじゃない、と信じる、ということか。
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Unknown (オキツ)
2011-04-06 06:35:31
誰でも同じ反応をする時、それは外からの因で決まる。なんらかの想いが人を動かす時、内からの因で決まると見える。
…って、どういうことだ?

誰でも同じ反応をする時。
・歩いていて、歩道に車が突っ込んで来たら逃げること
・おなかがすいたらなんでもいいから食べたいこと
・花粉ひどいから寝ときたいよー

何かの想いをもって行動する時。
・花粉ひどいから寝ときたいよー。でも今日は新人さんの撮影があるから行かなくちゃ。
・この本を読もう

・大きな災害があったら、何とか役立ちたいと思うこと
・こどもや動物が自分じゃどうしようもないことに直面している時、泣きたくなること
…なんかは、外からの原因もだし、内からの想いもあるし、両方ってこともある?

直観的に「こうしたい」と思って体を動かすことと、「こうしたい」と思った原因(外のじゃなくて内の)を把握していることの違いか。
往々にして、外の原因しか見えないこともいっぱいあるな。

・大きな災害があったら、何とか役立ちたいと思うこと
なんかは、外の原因は考えなくてもわかるんだけど、内の原因って何だろう。
「居ても立ってもいられないから」ってのは気分の問題で、あんまり考えを認識しているとは言えないな。そのうち、流れ去る性質のものだ。
「つながっているから」とか、そういうことなんだけど、そういう言葉ではピンと来ないな。
「ウチ、一部屋空いてるよ。ふとんも二組ならあるよ」と知り合いに伝えるまでには、一応何か考えたな。何を?

「その子の親戚がみんなこっちに来て、その子の家がいっぱいになったら、こっちも一部屋空いてるよ。近いし、よかったら使ってもらって。食事はものすごく粗食だから許してね。昼間、時間があるなら一緒に作ってもらうのはwelcome。長くなりそうだから、1か月を超えたら食事はアタマ割にした方がいいかな。まぁ必要に応じて相談しながら決めればいいか」って。

う~、すごいケチな考えだ。
でも、それだけ決めたら、何カ月でも下宿感覚で居てもらえるかな、と思ったり(でも料理作ってくれたらウレシイとか思ったけど)。

何の話だっけ?
外からの因と、内からの想いって、きっぱり分けられるモンじゃないと思ったのでありました。

あ、「それが外から迫る想いを質に応じてするの因となるためにみずからが自由だと、つまりよそからの因に左右されないと信じる」って、

「外の出来ごとでこころが動いて、気質・性格に応じて何かをする原因になるから、自分が自由だと信じる(でも気質・性格に踊らされるままで、自由どころじゃない)」、って書いてるか。

って、後から否定されることを、一生懸命理解しようと思うのも、けなげだなぁ、私。でもこうやって例を上げてあるものも、順番に見たら「ほおほお、なるほど」っていったん思うんだけど(^^;)。
考えるのって、ホントに難しい。
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