片道きゃっちぼーる

平凡な生活ですけど。

上野 まだまだまだ。

2012-04-08 20:46:32 | Weblog
先日、自宅にある宗教の勧誘が来ました。
風邪で結構辛かったんで

「神様を信じたら風邪治りますかね?」

と尋ねたら、すぐに帰ってしまいました。




閑散とした上野東照宮を離れ、
観光客で賑わう場所へ。

上野動物園。
明治11年(1936年)の三大事件って、御存知ですか?
ワタシもかなり前にちらっと何かで読んだだけなんですけど。
2・26事件、阿部定事件、
そしてこの上野動物園から黒ヒョウが逃げ出し大問題となった
上野動物園黒ヒョウ脱走事件のことを称するらしいです。
第二次世界大戦中に、猛獣が動物園から逃亡し
被害を及ぼすのを未然に防ぐために行われた戦時猛獣処分は
この黒ヒョウの脱走も影響したと言われています。

現在はパンダ人気で賑わっていました。

郵便ポストもパンダ。
このパンダポストに投函された郵便物は
上野限定の消印が押されるそうです。
だーぱん人気恐るべし。

動物園を通りすぎた所に見えるのが、
旧東京音楽学校奏楽堂(そうがくどう)。

東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の演奏会場として
明治23年(1890年)に建設されました。
ウニの、間違えた、国の重要文化財に指定されています。

東京国立博物館の敷地から道路を隔てた所にある、黒田記念館。

洋画家・黒田清輝の遺言により建設されました。

黒田記念館の隣にあるのが、国際子ども図書館。

1906年建設の旧帝国図書館の庁舎を利用したこの施設は
日本初の児童書専門の国立図書館です。
正面には、小泉八雲のレリーフが彫刻されている噴水があります。


しばらく歩いた所にある、寛永寺本堂。

根本中堂(こんぽんちゅうどう)。

根本中堂は、現上野公園内の大噴水のある場所に建立されましたが、
上野戦争の際に焼失してしまいました。
現在の根本中堂は川越喜多院の本地堂を移築したものなので
寛永寺本来の建物ではありません。
境内には、寛永寺を創建した天海大僧正の像が安置されています。

この人があずみを育てさせたのか…。←違う。
同じく、境内にある上野戦争碑記。

撰文は彰義隊生き残りの幕臣・阿部弘蔵杖策で
明治45年5月に建立されました。

ちなみに、彰義という隊名をつけたのは
この阿部弘蔵だと言われています。

根本中堂のほど近くにある、寛永寺墓地。

葵の御紋がっ!!
寛永寺には、4代将軍家綱、5代将軍綱吉、8代将軍吉宗、
10代将軍家斉、13代将軍家定、
そして大河ドラマで有名になった篤姫のお墓もあります。
しかしながら、将軍御霊廟は一般公開されていません。
残念。
ワタシのような一般人が見られるのは、
5代将軍綱吉の霊廟勅額門(ちょがくもん)のみ。

うーん、何も見えない。
アップにするとこんな感じです。

東京大空襲で唯一焼け残った現存する霊廟門です。
その勅額門の前からは、スカイツリーがキレイに見えていました。

かつての上野戦争の舞台から見える、現在の平和な東京。
震災だ不景気だと色々不安はあるけど
今を生きていることに感謝しないとなあ。


続く。

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