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On a bench ブログ

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昔、昭和のプロレス少年だった頃(大好きだった入場曲集)

2024年02月18日 | 音楽(他ジャンル)

 どうも、ジローです。

 今日は、まったく唐突ながら、昔の昭和プロレスの話を。

 日頃、クラシックやジャズの話ばかりしていますが、実は何を隠そう、ぼくは子どもの頃は超テレビっ子、かつプロレス・ファンだった少年でして、毎週の新日(猪木のほう)、そして深夜ワクの時期が多かった全日(馬場のほう)の放映まで、見れるものは見逃したことがなかったくらい大好きでした。

 で、今日突然あの頃のことを思い出したのは、さっきたまたまYouTubeでテリー・ファンクの追悼動画を見てしまったから。

 テリー・ファンクは、もう昨年のうちに他界していて、ぼくもそのニュースは知らないわけではなかったけど、先ほどYouTubeを見始めて、改めてあの頃のことを思い出してしまった。

 いやあ、懐かしい。そして、昭和プロレスのことを思い出すと、いつも何だか悲しい。

 で、さっきから数珠つなぎ的に、いろいろと昔の試合の動画などを見始めて止まらなくなってしまったんだけど、やはり当ブログとして何かを書くとすると、そこはどうしても音楽、具体的には入場曲の話、ということになってしまうのでありまして。

 ということで、ここから当時大好きだった入場曲を、いくつかご紹介させていただきます。

 で、最初はこれ。

ザ・ファンクス(スピニングトーホールド)

 ぼくの中ではプロレスの入場曲といったら、断然他を引き離してコレなのですよ。もう、永遠の名曲です。そして、少年期のぼくをプロレスにくぎ付けにしたのが、いつだったかの暮れの「ザ・ファンクス 対 ブッチャー・シーク」のオープンタッグ・リーグ戦だった。

 そして、これは大人になってから知ったのだが、このすごくカッコいい曲が、どうせアメリカのロック曲を使っているのだろうと思い込んでいたら、何と日本の「クリエイション」というバンドの曲だったこと。えっ、日本人にもこんな曲が書けちゃうの? それなら、何でこのバンドがもっと有名じゃないの? って、めちゃくちゃ驚いてしまいました。

 そして次に、実は日本産だったと分かって驚いた、という点ではこの曲も。

ギャラクシー・エキスプレス

 これ、実は個人のテーマ曲なのではなく、全日で「NWA世界王者」のテーマとして使われていた曲という点で珍しいと思うんだけど、その王者の中で印象に残っているといえば、何と言ってもハーリー・レイスとリック・フレアー。

 曲としてはやや地味ではあるので、印象に残っているという方は少ないかもしれませんが、個人的にはちょこちょこ入るシンセ(?)の合の手みたいな細かい音に、当時からハマっていました。

 そしてネットで拾った情報によると、何とこの曲は、あの「スター・ウォーズ」のテーマからのアレンジであるとのこと。しかも、もともとの音源としてはかなりレア。よくそんなところから見つけてきたなあホントに、と感心した記憶があります。

 そして、次は派手めな曲で、強烈に耳に残っているという意味では一番かもしれない、ブルーザー・ブロディーの入場曲。

ブルーザーブロディ入場曲 移民の歌(ブロディコールエディット)

 えっ、「移民の歌」なんて知りませんよ。レッド・ツェッペリンって、何ですか?(実際、これも大人になるまで知らなかった)。純正プロレス・ファンには、この曲はボーカル曲ではなくてサックスの曲で、そして断じて、ブロディの入場曲のままでいいのです!

 (あと、全くの余談になりますが、ブロディ―は入場時に毛皮のベストをよく着ていたのですが、ある時職場で年上の女性の同僚の方が、何となくそれに似ていたものを着ていたので、つい「それって、ブロディーのベストに似ていますね」と口に出してしまい、けっこう本気で怒られてしまったという苦い思い出もあります。ていうか、その人がブロディーを知っているとは思わなかった)

 そして次に、レスラーのキャラにあまりにも似合っていたのがこの曲。

アブドーラ・ザ・ブッチャー入場曲 【吹けよ風、呼べよ嵐】Abdullah The Butcher Entrance Music

 これは、曲自体があまりにカッコよかったので、後にピンク・フロイドのCDまで聴いてしまいましたよ(もしかしたら、人生初のプログレだったかも)。そして、この曲をブッチャーの入場曲として選んだ人、超絶スーパー・ファインプレーではないですか?

 ていうか、どう考えてもテリー・ファンクより体型的に早く亡くなりそうだったブッチャーが、まだ訃報を聞かない(ということで、いいですよね)。最近では、彼らよりずっと若手だったテリー・ゴディやジミー・スヌーカなんかも亡くなったと聞いて(やっぱり、レスラーは短命な人が多い)、そんな訃報を聞くたびに心が苦しくなってしまいます(ダイナマイト・キッドの晩年は痛々しかった)。ぜひとも、ブッチャーはこの先も元気で長生きしてほしいです。

 そして次は、レスラー自体としてはそんなに好きじゃなかったけど、入場曲のカッコよさという点では認めざるを得なかった、ミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」。

Sky-High(jigsaw) / Mil Mascaras

 そして、最後に番外的に、入場曲ではないけれどすごく記憶に残っている新日の時期シリーズ参加選手の紹介時にかかっていた音楽を。

 昔、番組の最後なんかにこの紹介コーナーが始まった時の、次はどんな外人選手が来るんだろうってワクワク感って、むしろ本番以上ですらあったんですよね(この曲ってジェフ・ベックだったのかってことも、わりと最近気がつきました)。

ワールドプロレスリング 次期シリーズ予告テーマ NJPW TV Show BGM

 

 以上・・・、身体に熱いものが甦った勢いで一気に書いてしまいましたが、今、こうして改めて当時を思い起こしてみると、やっぱり一番心に上がってくるのは、大きな「さみしさ」という感情であることは、正直いって間違いないと、思うわけでして。

 そりゃあ、ぼくだってロープに振られた選手が律義に戻ってくるのが変だってくらい、子どもの頃から気づかないわけではありませんでしたよ(小学生の頃から、プロレスは八百長だというクラスメイトも普通にいた)。

 でもですね、それが演技だとかショーだとか言って消されていった先に(別に、誰でも大人になるにつれて自然に失っていくものではありますが)、何が残るのかというと、ただ虚しい虚無の荒野が残るだけなのですよ。

 その後、あの頃の心の中にあったワクワクや興奮を代わりに埋めてくれるものは、結局何も現れなかったわけです。ていうか、その後、子供からティーンの世代になって、だんだんそのことがはっきりと明白になってくることを嚙みしめていったわけです。

 しかし、それを認めざるを得ないのは仕方ないにしても、それじゃあこの後の人生、プロレスに限らず、次々と手品のタネをばらされていって味気ない毎日が残されていくような過程の中で、一体何を楽しみに生きていけばいいのか。

 一体、世の中の大人たちは、横から見ていてもあまり面白そうに生きているようには見えないけど、なぜそんなつまらなそうな毎日を大してイヤそうでもなく送っていられるのか、不満や愚痴を言わないってことはそれが普通なのか、そして自分もそんな大人になっていくのか、そんな状態に耐えられるのかといった不安や絶望を、この頃から感じ始めたのだと思います。

 で、結局、その後社会全体がプロレスで熱狂するような時代ではなくなり、新日すらゴールデン・タイムの放送枠を維持できなくなって、自然とぼくもプロレスを見なくなりました(でもやっぱり、格闘技系は好きではあったから、K-1やプライドが人気だった頃は普通に見ていましたが)。

 でも、今YouTubeで昭和プロレスの会場の熱気なんかをみていると、どう考えてもあの頃のほうがみんな幸せだったんじゃないか、なんて思ってしまうんですよね。

 そういう意味では、アメリカ人がいまだに、WWEとかの日本人から見るとあまりにも「ショー」の度合いが強すぎて引いてしまうような興行に会場満杯で盛り上がっていられているっていうのは、まだまだ民族としての若さや強さみたいなものが残っているのかなあなんて、アメリカの懐の深さみたいなものを感じて気圧されてしまったりすることがあります。

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