美男子俱楽部

※単行本はBOOTHにて発売中。

路上ライヴ(表現の極意・体現者) ①

2022-06-09 | エッセイ

 てな訳で俺は無職。へいっ。無職は無職らしく街中でふらぁとしながら闊歩しておると、歌が聞こえて来た。聞いた事が在る、有名な曲で在る、かといって勘違いしちゃあいけないよ。有名な曲だからと言って、そこに有名な曲を作った有名な歌手がおるのかと云えばそうでは無く、なら誰がそこに居るのかというと、誰も知らない、頭髪などを金などに染め上げキャップなどを冠っただぼぉとした衣服などを着用なさった若い兄ちゃんなどである。と言うか、兄ちゃんである。

 俺は怒った。腹が立った。何故にして此奴は人様の曲を恰も自身で拵え拵えたのだから歌っておるのだという面持・風貌・様相で不特定多数のヒューマンが往来するこの様な場に於いて恥ずかし気も無しに歌っておられるのだ。ぼかぁ理解出来ませんよ。だってね、それ兄ちゃんの曲ちゃーいまーすやーん。

 いや、言いたい事は分かりまっせ。旦那。人の曲だろうとな、若者が一所懸命練習してな、気持込めて人前で立派に歌ってますやんかぁとか何とか。ボケ。何でカバーやねん。いや、カバーは大切俺には分る。表現とは何事もカバーから始まるもんやねん。先ずカバー。カバーして、こう云うのええなってやつ、カバーして、盗むんや、ええなって部分を。真似るんやないで、盗むんやで。ほいで自分の中で消化、つまり自分の武器にする訳やさかい、もうこの喋り方辞めてい?

 そうやってカバーして盗んだ武器を、自分のスタイルに落とし込んで行くっていうか、そうやって表現し続けた末に自分だけのオリジナルなスタイルが出来ていくって云うか、そのオリジナルってのも此れつまり元はあこがれとかそう云うののカバーから始まる訳で、オリジナルって云うと語弊が在るのかも知らんけど、結局、何が言いたいのかというとカバーってのは表現なるものの「過程」であって、カバーで安住して自分を表現していると思い込むのはこれ実にナンセンスであるという所。



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