やけになる、というのは何か、思い通りにならない事・厭な事があり苛苛して、滅茶苦茶をする、という事であり此の滅茶苦茶、というのは現実味の無いこと、すなわち社会的にあかんことをする、という事でたとえば酒を浴びる様に飲んで往来で絶叫してみたり見知らぬ婦女に裸身をさらしたり小学生にビンタしたりと、色々在るが、考えてみると俺は今が今まで碌にやけになった事がないなぁと思い驚愕した。情けないと思った。恥ずかしいと思った。
こういうのは大抵、一般世俗・社会にそぐわない人間つまり俗悪此の上無い文章を脈脈と認め赤貧に喘ぎながらにたにた嗤う芸術家気質の文筆家のあほなどが俺の作物が売れねえのはてめえ等の脳味噌がピメントだからなんだよ、だぁほ、などと云って酒を飲み、絶叫して、婦女に裸身をさらして小学生にビンタするというパターン、これが通例というか、俺も芸術家の端くれ、文筆家の末端として、絶叫して、婦女に裸身をさらして小学生にビンタしなければならぬと思うのである。
しかしながら、俺は酒を飲まない、というか二十三歳現在迄一度たりとも、一滴たりとも酒を口に入れた事すら無く、往来で絶叫したり裸に為ったり、小学生にビンタしたりした事もこれ一度も無いという体たらく、絶望的な有様であるが要は現実味の無い事・社会的で無い事を兎に角すれば良いという所で、何も酒を飲んだり、絶叫、裸身、ビンタする事がやけになる、という事では決して無く、あれこれ考えた末俺が思う反社会的な事、これをやったろと心に決め、それは何かと云うと、先ずブルース・リーが「死亡遊戯」で着用していたあの黄色と、黒のラインの入ったタイツの様なもの、此れを着装のうえ牛丼屋へ出向き、牛丼を註文。提供された刹那口は一切付けずにこれをどんぶりごと店から持ち出し疾走、附近の銀行に駆け込むのである。受付窓口の前迄来たところで手に持っている牛丼を頭から被り、「俺はシングルファーザー、マザーファッカー」などと絶叫しながらヌンチャクを振り回し、これを約五分間繰り返した後、今度はヌンチャクを捨て、周囲の人間にサンキュウ・ベリィ・マッチと米語で米的に謝辞を述べながら頭上の牛丼のうち、牛肉を一枚ずつ配った末バラタナティヤムを踊り土下座をするというもので、これを明日にでも決行したろと思い至った所で再度驚愕。悲嘆。絶望。というのは、俺には思い通りにならない事・厭な事がこれといって無いという不幸があって、であるのに頭上の牛肉を配ったりしてはそれはもはや徒の烏滸の沙汰というものであり、これではやけになれないという所で俺はやけになって部屋で一人ヌンチャクを振り回し家中の家具・其の他品々を破壊。俺はシングルファーザー。俺はマザーファッカー。自棄。