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Instagramアカウント開設のお知らせ。あっ、Xとか云ふ

2025-02-05 | お知らせ

Instagramのアカウントを作りました。

頑張りました。

 

私(觜川)はSNSの運用がとても苦手なのですが、

私などをプロモーションして下さると云うデザイナーの方がいらっしゃったので、

画像(見出し・原稿本文)の作成とアップロードはその方がやります。

 

私はと云いますと、実績としてまずアカウントを作った。数多在る作品から載せる作品を選定し、送付する。

あとは、人が作ってくれた画像を見て、「うん良い」とか云って最終的な善し悪しを断定するかなり重要な係を担当させて貰います。頑張ります。

ちなみに、万事において判断基準は人それぞれである為、同じ事をされても、人によって受け取り方・感じ方、例えば傷付く者もいれば気にしない者も居る、と云った違いはあたりまえに存在しそれは常に万人に理解されるべき、認識されるべきであって、なのでいま私が自分は頑張ったと言えば自分が自分について頑張ったと自分の判断基準で認識・感じて居るのであるから、人に「おまえはまったくもって何も頑張ってはいない」などと言われる謂れは無く間違いなく自分は頑張った・頑張っているのであり、また人が、人に「おまえは頑張っていない」という意味の事を言った場合、その言葉によって重く深刻に心に傷を負う人間もいるやも知れぬので、そういった無神経な事を言うことは勿論思う事自体が不適切だなぁ、と私は最近常日頃から是れを考えている。

 

と、偶然たまたま普段から思考が留まらぬ、と云う癖の在る自分が普段から思っている事を思い出したので、普段の如く全然全く関係のない話をしてしまったのであるが普段。

 

Instagramの方が、サクッと詩を読み触れる分には気軽ですので

単行本や此処で主婦の方なんかがじっくりゆっくりするのも良いですが、

しゅらっとサクりたい方にはおすすめです。

特に目標は無く、しれっと、こそっとおどれの文章をあげていきます。

何かあったら試行錯誤したりして、気長にこつこつ気軽にほいほい地道にまいまいするので、

のんのんして貰えたら、こちらもへいへいする予定。

擬態語を乱用するな、畳語の暴力と。

詰まりよろしくお願ひします。

 

あっ、「X」と云ふSNSでも同時に同様の物をアップロードしているので、

そっちをやっている方は、そっちで宜しくどうぞ。

↓                                ↓

https://x.com/Hashikawa_On?t=TbPKWZevwCrMmwv4nIxs-Q&s=09


転回

2025-02-02 | 

表情を変えられずに藻搔く者に

気付かぬ者が、全く無遠慮に波を立てる

 

うまく泣けぬ者を

泣かぬ者と理解した気で居やがる

 

おれら、こころに付着した塵は

 易く除去できぬのだよ

 

そんな事も知らずに

おまえは気軽にポップス&心のバカンス かよクソ

音楽に為れば

ダサくなる言葉しか言えぬおまへが

 

なぜおまえは如何にも疚しい存在で在るのか?

そう云った一連の常識を問題とし無いおまえに

 

全く

いいよなぁ、とぞ思ふ

いいよなぁおまえは とぞ思ふ

 

死人にこべりついた傷、の如く

俺は、

死人の傷

如る


ハードロック

2025-01-29 | 

貰った本がしょうもなさすぎて笑う

本の装丁が、

俺の本より凝っててむかつく。

世間は何を考えていらっしゃる?

凡庸で退屈、

「君」を天に掲げ

其れを下(しも)で待つおのれが美徳なの?

別れた後の未練が其所まで美しいの?

「君」を大袈裟に持ち上げ過ぎるな美化するな

おのれはそうして

想いを馳せるおどれがかわいい


或る詩人の独白

2025-01-23 | 筆録

みなそれぞれ不幸があると思うが、

先ず、私の幸福は芸術に心酔できた事、最大の不幸は会社の駒として社会に属さなければ成らなかった事。

はじめたての創作ではとても食ってゆかれ無いから、〇〇会社の市川ですっとか云って、「俺は俺じゃねえか」って沸き上がる強力な自我。心酔しているから、芸術が万物で最も崇高であると揺るぎのない思想に基づく者からしてみれば、此れは言わば戯け。

地獄の様な気持で俗に染まりつつ、儚い収入を得て、それでも困窮し湯にルウを溶かし安い焼き鳥かなにかの缶詰を入れたカレーライスで一日の食事を賄うことはざらであったし、阿呆(あほう)みたいに戯けてばかりの自分を何とかしたくて職も替え、家が無くなって見知らぬ人とアパートで暮らしながら住み込みの農家のバイトをしたり、村の長屋でホームスーパーで買うたホースで身体を洗う様な不様な生活をしたりと、

それでも行く場所行く場所には、困窮を極める自分に何度かコンビニエンスストアーの惣菜を大量に買い、与えて下さった者が居たり、いまより余程つたない私のくだらぬ絵や売れぬ私家版の単行本を或いは金の、生活の為に購入下さった者、一般の者では在るが、芸術の才をみとめ信じて下さった者、などが居て、どうやら自分は他人に施され易い質、とか云うたらあれだけれども、其れも私にそなわる小さな幸福として受け止めておくと為る。居る。

自分より苦しい者をまわりに知らぬ程が、少しずつそうでも無くなってきている、と云うのは此れはまぎれも無い幸福。車を買えたり、詩を撚る時間がふえたり、少し嬉しい事があったのなら、好い寿司とか、そう云うもの無理無くさらっと食べに行けたり、はして、それでも当然裕福では無いのだけれど、其れは私は未だ未だ駆け出しの作家であって、未だ未だ拙い詩を書いて仕舞ったりもする有様であるからであり、

それでも存在のなか、矛盾と人生の本質をうばう社会の中世俗の中人間同士の中、不安の中愛の中悲しみの中、それを内面的に感じて居る繊細で生きづらくて、共感・共鳴する私とおなじ全て・各種の心の為に詩を書いてこましたるど。とは云うものの、今日は何だか訳が分からずにやる気が出ないので、詩作は諦め、何だか楽しく生ける、という俺の生の自由、惰性・怠けをも共感・共鳴して呉れるとも思っている。こころの為に。


人生に緊張する。という事は、つまり

2025-01-22 | 筆録

普段、わたくし觜川おんが直に話す事は無いですが、

 

此所の名称は、

「美男子俱楽部」より「詩人生における、人生による人生と云う緊張」

というものに変わりました。

 

記事の閲覧数が2万回に到達します。

一文でも拙作に触れてくださった皆さま、誠にありがとうございます。

 

新作、「いぶし魂(人生の高天原)」の読みは、

「いぶしたましい(じんせいのたかまがはら)」で、御座います。

 

さて、

人生に緊張する。という事についてですが、

 

済みません、詩作があるので

また今度とします。

 

 

 

      2025.1.22 觜川おん