美男子俱楽部

※単行本はBOOTHにて発売中。

農業に勤しむ訳は

2022-06-23 | エッセイ

 或る曲の、とくに冒頭やサビなどの一部分のみを歌えるのだけれども一体誰の歌なのか、一体何と云う曲なのかという肝要な所を一向に思い出せずに為体の知れないまま印象と僅かに分る歌詞とがぐるぐる頭脳を駆けずり回って、もやもやしている間に大人になってしまった空虚な大人というのが明治初期に大量に発生してしまってその気苦労によって病の床に臥す人がふえ、その所為で約三年間人々はピメントを食べられなかったというのはまあ嘘と云われれば実際嘘であるし、何でピメントやねんっていう、ピーマンって言えやっていう所なんだけれども、今、そこは別にどうでもいいっていうか、つまり、はっきり云うと、俺も空虚な大人だったが胆。

 俺を、虚ろで惨めな大人にさせた忌むべき曲というのが、餓鬼の時分にテレビジョンのコマーシャルか何かで絶えず流されていた曲で、

 「地平線に届く様にー/限界迄振り切って呉れー」

 とか言う詞だったと記憶しているのだけれども、今し方言った通り俺は過去に空虚な大人だっただけで現在は違うというのは現代文明には何やらインター・ネッツとか云う変わった名前の米国のおっさんが居てその御仁が発明したゴーグル、つまり眼鏡だね、此れが在って、掛ければ知りたい情報は大体ただで手に入るらしく知り合いがこの原理意味不明な風防紫外線防止用眼鏡を使い熟せるというのでお願いしたところ、あれ、何つったかな。およ、何だっけ。あっ、あれだ。たしか「ラスク・アンド・シェル」。この集団の楽曲と判明。ラスク・アンド・シェル。ラスクと貝殻。うぬぅ。なかなか文学的やんけぇ。へっ。

 まあね、調べて貰ったのも四年程前だからね、曲名とか其れ以外の歌詞などは忘却したのだから今は充実した大人というのは嘘だと言われれば実際嘘であるし、だいたい初めの言い方によっちゃあ頭脳ぐるぐるもやもやを抱えたまま大人になった大人が空虚な大人な訳で頭脳ぐるぐるもやもやを抱えたまま大人になった大人が大人になってから頭脳ぐるぐるもやもやを解消したからといって頭脳ぐるぐるもやもやを抱えて一度大人になってしまった空虚な大人の立場上もう永劫に空虚な大人でなければならず、それはおかしいなぁと、理不尽であるなぁと思ったのでやっぱりさっきのは嘘、という事に済まして話を進ませるとこのラスク・アンド・シェルの俺を空しくさせた楽曲というのが俺が車を運転している時、特にドライバーズ・ハイであって、生まれ付きのスピード狂であるなぁと自覚する際にぐるぐるするのだけど、何故ぐるぐるするのかと云うと俺がドライバーズ・ハイで生まれ付きのスピード狂であるからで何故その様に為るのかと云うと俺が車を運転しているからで、何故運転しているのかと云うと車を所持しているからで何故東京都在住二十三歳赤貧の若造が所持しているのかと云うと四箇月田舎で暮らした事があり其処での暮らしに於いて不可欠であったため無理をして購買したからで何故田舎で暮らしたのかと云えば農業に就く為であり、こう云った流れで今回は俺が農業を営んだ話を掘り下げこれから未経験ながらにして農業に就こうと考えておられる若者の利益になる様な話をしようと思っていたのだけれど前置きが長くなってしまいかなり疲れて仕舞うたので其れも嘘って事にしてそろそろ筆を置きます。さいなら。


申し上げれば自滅 ②

2022-06-19 | エッセイ

 俺なりにこれを分析してみるとこう云った症状がある人というのは、まあ病気じゃないけれど、相手方に気を遣いすぎてしまうのだと思われるのであるよ。ひっ。というのは俺にそういった節があるからで相手方に無意識ながらに合わせてしまうというところで話している際急かされている様に感じてしまったり、言葉を選びすぎてしまうという事なのだと思うのだよじぇろ。

 しかしこれは美徳というか、そんなにも人に気を遣えるなんて素晴らしいね!君は優しい。のだけれども実際に思っている事の二〇%ほどしか口頭では伝えられないというのもこれ不便であるし、何より少し切ない。なのでこういうのは如何なものか。

 つまり、自分の思っている事・考えている事を予め準備しておれば良い訳で、というものの人間の記憶というのは曖昧で忘れっぽいものだから帳面に書いておくというのだよ。平生、思考している事人によく尋ねられる事何時も言い忘れてしまう事などを記しておく。僕の場合、ノート二十六冊程の分量になってしまったのだけれど、君はどうかな。本当に?すごいね、その調子。んで、会う人間に先ずこの帳面を提出する。「先ず、此れ読んで丁髷」ってね。そうすっと、相手方は僕の事を略完全に御理解される訳なので自ずと質問を受ける事、延いては話す事自体が無くなりもう困らない。イエイ。

 翌週、俺は飯屋に行く誓約をしていた友人とステーションで落ち合い、先ず是れを渡した。彼は「なんじゃあこりゃ」と仰り是れについて質疑。

 「これはっ、ええっと、あのう俺話す事がにぎゃっ、苦手って云うか、こう、俺結構色々と考えてる事があってさ、何か、君の様な友人と会うて話をする際などに、えっと質問とかされる事がある訳で・・・・・・・・」

 失敗した。俺は阿房だ。このノートについての説明をノートに書かなければならなかったのに俺はうっかりしていた。もう一冊、ノートを買わなければ。金が無い。人に会えない。晴天日用レインコートの、気分。


申し上げれば自滅 ①

2022-06-17 | エッセイ

 小生、このように見えて話す事がこれ不得手である。このように見えてというのはこのように俗悪な文章をむだに脈脈としたためる癖のある人間のくせにという意味で、逆に言えば話す事が苦手だから書く、という訳かも知らん。

 とは言っても、人並みに話はするし人と喋る事は嫌いじゃない。言葉を発する際に「あのう、えっと、そのう」なんていってしどろもどろに為ったりするわけでもなく、ほな、何があかんのかと云うと、このような職業柄、まあ職業じゃないけど、個人の性質なのか知らんけど、こう生きておると多面にわたって深く思考することが様々在って、そういうのは文章にすれば造作の無い事なんだけれども、話すとなるとちょっとね。へへ。

 たとえば、小生良く聞かれる事が在って、「なんで詩ィ書こうと思ったん?」ってやつなんだけれども、是れを大雑把に回答するとすれば「俺学生時代シュルレアリスムに傾倒してさ、画家を志して絵ェを描いていたんだけれども、このシュルレアリスムってのがこれもとは文学って云うかつまり詩って云うかさ、アンドレ・ブルトンが提唱した訳なんだけども、俺もシュルレアリスムを研究していた立場上、ブルトンの文学なんか読む羽目になってさ、で恰度絵ェ描いて二年くらいになるとき、絵の限界って云うかさ、絵では描き切れない表現の領域みたいなもんが在ることに気が付いて、そこを埋めるためっていうか、まあ溜まった思考を消化?って言うのが適切なのかは知らんけど、そうする手段として文学ってのが在って、俺仰山本読んでたし、詩のおもしろさも判ってきた頃やったから、こりゃええやんけとか何とか、書き始めたことが契機になった気がするなぁ。」とまあこの様な感じになる訳で、我ながら非常に分かり易くしかも簡潔に書けたなぁ、安住。と言った具合なのだけれども、これを実際に人間を相手にして口で言ふとなると難儀なことで、「なんで詩ィ書こうと思ったん?」なんて先方からすれば、相手がテレビジョンや雑誌のインタビュアーで無ければ、気軽な思いで聞いてきている事是れ間違いなく、其れにたいしてこちらが右のように長長とこたえを述べるのはコミュニケーション上宜しくなく、「何や此奴、急に滅茶苦茶喋るやん」とどん引きされる事是れも間違いがないので、結果「んー、まあ、おれ、詩ィ結構読むし。」といったしょうも無い回答になるのであり、これは「車てなんぞや?」といった問いに対して「動く鉄の塊だぜ、ベイビー。」と答える事と同様で正確なのか正確でないのかよう分からん回答に落ち着くのが関の山って云うか、そういう具合になるので私は話すという事が苦手だなぁと感じる。


トイレットの地獄 ②

2022-06-15 | エッセイ

 ここ迄読んで下さった読者であれば、「小便小僧A」とは何ぞやという事柄を説明せずとも、あらましを察して頂けることと存じるので続けるが、小生が小便小僧Aのとき、殆どの場合に於いて如何なるトイレットであった場合も大便可能の個室略して大便個室には大便小僧Bが居てはるのである。大便小僧と小便小僧ならば上手くやれるんとちゃうんかと思うかも知らんが、それは俺に限っては大きな間違いで俺が小便をしている間、若しくは俺が小便をし終えたタイミングで大便小僧Bが大便個室から出現なさるのが問題で、先ず小生が小便をして居るタイミングで出て来られては、狭いトイレットに於いては何やごちゃごちゃ為ると言うか、俺の背嚢が邪魔して大便野郎、間違えた大便小僧Bのトイレットからの脱出がもたついたり俺自身も大便上がりの奴に背嚢を押し退けられるのは非常に不快と云うか、厭だし。

 で、小生が小便を終えたタイミングというのは、それは手洗いの問題である。小生、潔癖とか云うのか知らんけど手を洗う際はそれが譬え、高が小便後でも念入りに丁寧に時間を掛けて何度も洗いたい質であり、俺の後に大便小僧Bが待機している状態と云うのは非常に申し訳無い気持になり、どうぞと先を譲ってしまうのが常であるがかと云って「待つ」という行為は誰だって好まず更に、此方人等小便をしている身であって手に雑菌などが附着して居る危険性が推測され、そのような状態で大便小僧Bなどの手水を待つのはやはり厭で、つまりどちらにしても俺は地獄、ヘル、ヘヴン。にゃー。

 んまっ、もし俺が大便小僧Bの立場だったら、小便小僧Aがトイレットから居なくなってから大便個室から脱出する訳だけど、そう云った配慮が出来る人物というのが現代の社会に於いては少なくなってきており、それは何故かと言うと余裕が無いからで、やはりみな一度無職に為ってトイレットの在り方から世直しをする事が大切だなぁと思ったがそれでは経済が回らず回るのは便器の水だけであるよ。ハハハ。


トイレットの地獄 ①

2022-06-13 | エッセイ

 俺は運が悪い。悲運である。因果である。その根拠の一つがトイレット。「その根拠の一つがトイレット。」何だこの文章。

 いやあね、行くでしょトイレット。それは喫茶店とかホテルとか、公衆便所なんてものもあり、非常に神出鬼没というか、トイレットには神様がおるんじゃ、ボケェと訴えた偉人も上古におられたそうな、まあ、俺がね、そういったトイレットに入ろうものなら十中八九既に先客が居てはるのである。

 この、既に人が居てしまうと云うのが不運で悲運で因果であって、仮に大便の排出を所望している人間がトイレットに入室、大便可能な個室便器に向かったところ、そこには既に非情にも大便の排出を所望していた人類がその望みを叶え、神に感謝の言葉を述べておった所で、その為に後からやって来て大便の排出をなさろうとした人物通称大便小僧Aは既に居た通称大便小僧Bの所為でその望みを叶えられず、若しくは大便小僧Bが退出するまで我慢する事を強いられる訳で、何ともまあ不憫というか、かわいそうである。

 とまあ、大便小僧と言うのは大なのか小なのかはっきりしない有様であるが、それは黙許いただくとして、右の状態というのは良くある事というか、誰れもが経験在ることと存じます。しかし冒頭で小生のみが不運を蒙っておるのだという様な事を申し上げた立場上、その根拠を示さなければならず、それは小生が小便小僧Aだった場合も同様であるという点に御座います。