25日のエルザ戦を観て、握手した。でかい手だ。温かくて厚くて柔らかい手だった。いつも通り半分照れたような顔で、エルザが勝ったことにホッとしていた。オレンジのシャツも白いジャージもハッキリ言って格好よく着こなす男じゃない。半分坊主刈りのような頭がとんがっていかにも発車寸前のロケット弾のようだから、「テポ」というあだ名が付いたのかもしれない。
いつ会っても忙しい男だった。要領が良いタイプじゃない。話がうまい男じゃない。だから、準備に時間がかかる。現場でも人に頼むよりも自分でばたばたと作業している。晴れた日は汗だくで、雨の日はずぶぬれだった。この写真は2004年の小学生対象の市長戦の朝6時頃、コートづくりのために一番に来ていた時のものだ。
憎めない男だったから、段取りが手間どってあきれていてもみんなが手を貸す、なに言ってんのか分からんぞなどと、野次を飛ばしながらも拍手で讃える。
テポは、天王山3連戦の1試合目が終わった翌朝突然死んでしまった。
数時間後に訃報が届いて驚いて集まった誰もが、なにが起きたのか分からないといった様子で通夜の準備を手伝い、手を合わせた。ご自宅につながる夜道には野辺送りのように友人が振るたくさんの誘導の赤いライトが揺れた。
「そりゃあないぜ」テポ。
お母さんが「残念でなりません、保弘ことを忘れないでやって下さい。」とおっしゃった。
もちろん誰もが愛すべき男を忘れることはできない。眠っている間に亡くなったそうだから、彼自身まだ未練を残してその魂は近くにいるはずだ。テポを知っている俺たちが全部死んでしまうまで、彼の魂をそっとしておいてほしい。
松澤保弘35歳2005年9月26日逝去。
合掌
いつ会っても忙しい男だった。要領が良いタイプじゃない。話がうまい男じゃない。だから、準備に時間がかかる。現場でも人に頼むよりも自分でばたばたと作業している。晴れた日は汗だくで、雨の日はずぶぬれだった。この写真は2004年の小学生対象の市長戦の朝6時頃、コートづくりのために一番に来ていた時のものだ。
憎めない男だったから、段取りが手間どってあきれていてもみんなが手を貸す、なに言ってんのか分からんぞなどと、野次を飛ばしながらも拍手で讃える。
テポは、天王山3連戦の1試合目が終わった翌朝突然死んでしまった。
数時間後に訃報が届いて驚いて集まった誰もが、なにが起きたのか分からないといった様子で通夜の準備を手伝い、手を合わせた。ご自宅につながる夜道には野辺送りのように友人が振るたくさんの誘導の赤いライトが揺れた。
「そりゃあないぜ」テポ。
お母さんが「残念でなりません、保弘ことを忘れないでやって下さい。」とおっしゃった。
もちろん誰もが愛すべき男を忘れることはできない。眠っている間に亡くなったそうだから、彼自身まだ未練を残してその魂は近くにいるはずだ。テポを知っている俺たちが全部死んでしまうまで、彼の魂をそっとしておいてほしい。
松澤保弘35歳2005年9月26日逝去。
合掌