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♪おみそしるパーティー♪

「ほにゃらか」の
古典・短歌・ことば遊び
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悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ⑤

2004年11月25日 14時06分08秒 | ★古典こてん・ことば遊び
一見華やかに見える王朝時代に、こうした悲劇が
内在していたことは事実であろう。
それを表出するとき、作品は時代を越えて
多くの共感を与えていくだろう。

しかし、悲劇は悲劇、喜劇は喜劇として
切り離していくことを『堤中納言物語』はしていない。
悲劇から喜劇(しみじみとした悲しみからパロディ)へと
一転させる軽妙さには目を見張るものがある。

「はいずみ」はその最も代表的な一篇だと言えると思う。

男女の三角関係は、その人間性を端的に露呈する。
夫の窮状を理解する古妻は離別して郊外に退去する。
こうした人間性が、やがてその悲劇の末、夫の気持ちを
動かすことになるのだ。

そして新妻は、品性・知性・教養というものが
いかに劣るかを暴露することになる。
自分で眉墨を塗ったことにも気づかず、
もとの妻に呪いをかけられたのだなどという侍女の言葉を
真に受け、本人まで鏡を投げ出して泣き騒ぐ様は、
気の毒とも言えるほどにおかしい。

もとの妻のあわれな話とは対照的に、
今の妻の滑稽な悲劇を持ってきたところに、
作者のみごとな手腕を見ることが出来る。

男女の関係ということでは、「ほどほどの懸想」が、
いかにも身分の統制の厳しかった王朝時代を
反映していると思う。

小舎人童と女の童の純粋な恋。
若い男と女房のあだな恋。
頭の中将と故式部卿の宮の姫君の物憂い恋。
それぞれがそれぞれの身分にふさわしい相手と、
三者三様の恋をする。

そして、この一篇は童の恋を中心に描かれている。
ここが、上流貴族を中心に描いた王朝物語とは
その性格を異にする『堤中納言物語』の特徴なのだ。

(つづく)

悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ④

2004年11月25日 13時48分12秒 | ★古典こてん・ことば遊び
さて、『堤中納言物語』には、親のいない姫君の惨めさ、
女房がしっかりしていなかったための悲劇が、
数多く描かれている。

「花折る中将」「逢坂越えぬ権中納言」
「思はぬ方にとまりする少将」「このついで」の第二話
「貝合」「はいずみ」がそれである。

「逢坂越えぬ権中納言」で、姫君は頼りになる方がいない
立場なのであろう。
権中納言は両親を通して願い出ることもなく、
姫君のもとへとおもむく。
そして女房のすきをみて、姫君の所まで行ってしまった。

「逢坂越えぬ」であったことは不幸中の幸いであろうが、
親のいない姫君がいかに惨めかは、
これを読むことによって感じ取れる。

しかし、あくまでも物語は権中納言の悲しい恋心を中心に
描いていく。
姫君の惨めさは状況として表出しているにすぎないという
態度を装うのだ。
そのさりげなさが、かえって読者の感覚を刺激するのだと思う。

「思はぬ方にとまりする少将」は、悲劇の極致である。
女房の手違いで、姉妹がそれぞれ反対の恋人と
契りを結んでしまうなどということも、
親がいなかったためとも言えようが、それにしても悲惨である。

また女が抵抗することさえ許されなかった時代の悲劇なのだ。
この姉妹の心中は察するにあまりある。

この一篇が、少将の歌を最後にその先を描かず、
いかにも古い昔の実話であるかのような結び方をしてるのは、
余韻を残して物語の幕を閉じようとしたからだろう。

この後、姉妹がどうなっていくのか。
読者の想像は限りなく広がっていく。

(つづく)

悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ③

2004年11月25日 13時32分47秒 | ★古典こてん・ことば遊び
「虫めずる姫君」は頽廃的な一篇である。

王朝貴族の美学をくつがえす姫君の存在は、
怪奇醜悪で嫌悪忌避すべきものであったにちがいない。

しかし、その姫君のもっともらしい理屈には
親たちでさえ恐れ入ってしまう。
それどころか、

  当初は嘲弄の対象として悪戯を仕掛け、
  姫君の生態について哄笑で軽侮する青年の
  胸中に、友人に同調しながらも姫君に
  傾斜する兆候の萌生が暗示されるようになる。
  (『堤中納言物語』新潮日本古典集成)


ここが、この一篇の面白さだと言えよう。

かいま見に女装するのは、めずらしいことではないようであるが、
奇妙な姫君を奇妙な女装した青年がかいま見し惹かれていく。
こうした何でもない小さな所にも、一篇のテーマに
かかわっていこうとする作者の細やかな心配りが、
より一層作品に輝きを与えるのだ。

「貝合」のかいま見が、継子いじめの物語を描くための手法に
なっているのはめずらしいことだと思う。
継子たる中心人物の位置設定に始まり、生い立ち、
そして継母に不幸が訪れ、継子の幸福な結末、
というパターンを脱している。

心理描写も継子たる姫君と弟君のものでなく、
かいま見ている蔵人の少将のものである点も
見逃しがたく面白い。

また書き出しが「風流な女性と語り合いたい」と
思いながら朝霧の中を忍び歩く少将が
なかなか思うようにいかないところから始まり、
結末で貝合の場面を描かない技法などは
いかにも短篇小説的である。

その後の想像を読者が広げていける空間を残す
たくみさが、継子いじめの物語に新しい風を
引き込んだと言えよう。

この「貝合」のメルヘン的イメージは、結末まで
描ききらなかったことで保たれたのかもしれない。

(つづく)

悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ②

2004年11月18日 13時04分28秒 | ★古典こてん・ことば遊び
心ある女性は屋内生活をしていて、ごく一部の
女房や女の童がお前に参ることを許させ、
その器量や人柄を見知っているだけなのだから、
理想の妻を見いだすことは容易ではなかっただろう。

そうした時代にあって、この中将が思いがけず、
望み通りの姫君をかいま見ることができたのは
またとない機会だったのかもしれない。

だからこそ「花桜折る」ことになったのだろう。

柳の枝の懸想文の挿話といい、管弦の遊びにすぐれ
帝のご寵愛を受けていたことのわかる挿話といい、
さりげないながらも、全てが「花桜折る」へと
収束してゆく計算は見事である。

「花を折る」とは、①はなやかに装う。姿形が美しい。
         ②美女を手に入れる。

という意味だ。

この一篇が、姫君の祖母君にあたる尼君がさらわれ、
その尼君の「御かたちはかぎりなかりけれど」で
結ばれている点は、読者の苦笑を買うところであろう。

その笑いが余韻となって残るとき、一種独特の憂鬱感へと
変わっていくのはなぜなのか。
この笑いが、ご寵愛下さった帝に対する裏切り行為への
報酬として存在するところに、その理由があるのかも
しれない。

また、ストーリーを展開させる条件ともなった
父君のいない姫君のみじめさが、そこに内在している
からだとも言えるだろう。

(つづく)

悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ①

2004年11月18日 12時46分50秒 | ★古典こてん・ことば遊び
(古典シリーズ第2弾? 今日は『堤中納言物語』です。)


『堤中納言物語』は不思議な力を持っている。

古代王朝文化と現代文化の間には、大きな懸絶がある。
その懸絶を越えて、現代の読者に古代作者の描く場面を
共有させることは容易なことではあるまい。

しかし、この作品はその困難を克服し、
現代文化に生きる私を、見事なまでに王朝文化へと
誘い込むのである。

『源氏物語』を代表とする王朝物語の多くは、
上流貴族を中心に物語が展開していく。

そうした中で、この作品は中流貴族を中心に
王朝文化の表面的華やかさというより寧ろ、
その裏話を披露してくれる。

この新鮮さが、現代人たるわたしの興味を
ひきつけずにはおかないのだ。

しかも、題材がヴァラエティーに富んでいる。

「かいま見」を通して描いた作品、
または「かいま見」をする場面のある作品は、
十篇中、「花桜折る中将」「このついで」の第三話
「虫めづる姫君」「貝合」「はなだの女御」の
以上五篇である。

しかし、これらの内容は、同じ「かいま見」とは
言っても、全く異なるのだ。

「花桜折る中将」は色好みの中将が、かいま見で
ある美しい姫君を見そめ、姫君が帝のところへ
行ってしまう前に迎え取ってしまおうとするが、
誤って祖母君を盗み出してしまったという話である。

政略結婚や妻方の婿かしずきを嫌い、自ら良き伴侶を
求めることを本領とする色好みである。
理想の妻を見いだすための「かいま見」であることは、
「をのこどもすごしやりて」からわかる。
身分の低いお供の者には、のぞき見させないのだ。

また、このことは、色好みが貴公子の特権とも
言い得ることを教えてくれる。

(つづく)

徒然草の魅力と、不在の美学 ⑨

2004年11月17日 14時21分20秒 | ★古典こてん・ことば遊び
同じ随筆のジャンルとして位置づけられる
『枕の草子』と比較するとき、それは明らかになる。

『枕の草子』は、意味性が隠喩的に隠されている、
いわば描写の文学である。

それに対して『徒然草』は、段末で兼好の価値観が
総合化されて、断定的に宣言されている。
その叙述表現の構造は、中世の説話文学の影響を
強く受けているといわれる。

この叙述表現によって、兼好の価値観が
不在性を契機とした価値観に意味づけられている
ことがわかる。

兼好の価値基準は、中世という時代状況の中で、
王朝貴族的な美的理念へと「不在」を媒介としながら、
志向的に関わりつつ規範意識へと収束しているように思う。

つまり、『徒然草』では、意味が表出され、
その意味に描写が従属していくという形をとる
という点で、隠喩的『枕の草子』とは異なるのである。

しかも、『徒然草』は、全体にわたって換喩的に
話が展開していく。

異常の叙述表現の特色から見ても、
兼好の思想は「書くこと」自体に他ならなかった
のではなかろうか。


  つれづれなるままに、
  日くらし、硯にむかひて、
  心にうつりゆくよしなし事を、
  そこはかとなく書きつくれば、
  あやしうこそものぐるほしけれ。
       (『徒然草』 序段)


☆ 以上で、ほにゃらかの『徒然草』読後感想文は終了。
☆ 次回は『堤中納言物語』です。

徒然草の魅力と、不在の美学 ⑧

2004年11月17日 14時08分02秒 | ★古典こてん・ことば遊び
死は常に身に迫っているにもかかわらず、
人間はそれを不在化して暮らしている。
兼好は、不在的であるが故に創造として
死を志向しているように思われるのである。

これが兼好の、いわるゆ無常思想なのであろう。
そしてこの死への憧憬のみが、
実在という苦しみから逃れさせてくれると
信じていたにちがいない。

つまり、第百三十七段前半では、
不在性に志向的に想像力が関わることで
美の世界が広がることを述べ、
後半においても死の不在性を契機として
「生」に輝きをもたらすことが語られているのである。

さて、『徒然草』における「書くこと」の意味である。

死を所有するという不可能な試みが存在し得る場は
言葉の世界以外にはあり得ない。
兼好は「書くこと」によって、死を所有することを
試みたのではあるまいか。

それゆえに、これを読む者はその背後に
「死」を見なくてはならない。

第百三十七段後半における「桟敷」という言葉は、
現実の桟敷を意味するのではない。
いわゆる「死」であり、「三途の川の川岸」で
あるように思う。

しかし、その空虚さが恐ろしいまでに言葉に真実味を与え、
それが現実となって我々読者に訴えてくる。
多分、この「書くこと」と不在との絡み合いが、
『徒然草』の魅力なのかもしれない。

(つづく)

徒然草の魅力と、不在の美学 ⑦

2004年11月17日 13時52分48秒 | ★古典こてん・ことば遊び
また、兼好は『徒然草』第百三十七段後半において、
前半の「不在」とは一見、一貫性に乏しいと思われる
「死」について語る。

この結びつきは、従来の説のように美が死を支配して
いるというだけのことであろうか。
いやむしろ不在性ということで一貫しているように
思われる。

人間は「生」の状態で「死」を体験することは
不可能である。
人間が生において経験できる死は、他人の死のみであり、
とうてい死後の世界を計り知ることはできない。

しかし、人は人間である限り、いつか死ぬ。
それ故に死は人間の、のがれることの出来ない
「可能性」でもあるのだ。

兼好は、この死の可能性と不可能生の間の振幅から
決して眼をそれしていない。
不可視なものである死のこちら側で、
人間の「実在する世界」=「生」に視線を向けている。

しかも、その「実在」は、人間にとって
苦しみとして拒否すべきもの・恐怖すべきもの
として彼の目には映るのである。
かえって人間の苦しみは「実在」にあると考えて
いたようである。

実在は、死の可能性を意識から追放し、
死に支配されながら、なお存在し、死を排斥し、
不在の中にあってなお現存しているからであろう。
人間の実在は、死が人間にとって不在であるが故に
苦痛なのであるにちがいない。

実在における死の不在性を契機として、
死を内在的に志向することで、
生そのものを幻影的ではあるが完全に所有しよう
とする兼好の思想が感じられる。

(つづく)

徒然草の魅力と、不在の美学 ⑥

2004年11月17日 13時38分07秒 | ★古典こてん・ことば遊び
しかし、平安朝の貴族たちは、吉田兼好のいう
「かたゐなかの人」と同様に、まさに即物的に
祭に参与することによって、その生活を謳歌し、
情熱にあふれていたことも逆説的にではあるが
感じ取れないわけではない。

そうしたことを考えるとき、果たして兼好の
本来憧憬したものは、中世の「都の人」の、
淡々とした姿であったのだろうか。

兼好は「花はさかりに、月はくまなきをのみ
見るものかは。」と記してはいるものの、
兼好の志向したしたものは満開の桜であり、
満月ではなかったのか。

また「よろづの事も始め終りこそをかしけれ。」
と書いてはいるが、兼好が憧憬したものは、
「ひとへに逢ひ見る」恋であったにちがいない
のである。

しかし中世人兼好の思想として、その盛りの花や
曇りのない月や一途な恋は、実在として眼前にあったり、
その体験の最中であってはならず、
あくまでも幻影として、創造として存在、経験
されなくてはならなかったのではあるまいか。

兼好は不在性を根源に置く矛盾、背反した
両義的意識構造を言葉の世界、書かれた文字の世界に
実在させたのである。
その意味において『徒然草』の序段は決定的な意味を
持つであろう。

(つづく)

徒然草の魅力と、不在の美学 ⑤

2004年11月17日 13時28分08秒 | ★古典こてん・ことば遊び
  花はさかりに、月はくまなきをのみ
  見るものかは。
           (第百三十七段)


ここには、伝統に培われた美が生き生きと
説き明かされている。
これに『中性の美意識の真髄を見たような
思いがする。

賀茂祭を見物する人々の様子を例にとっても、
「よき人」と「かたゐなかの人」を比較しつつ、
距離を置いて全体の雰囲気を楽しむという
感覚的美の世界を推賞しているように思う。

こうしたことからもわかるように兼好は
名誉や地位を求めることを嫌う態度を
見せていながら、一方でそういった地位の
人々そのものの生活態度に敬意を表する面をも
見せいているのである。

これは何を意味するのだろうか。
兼好が真実「良し」としたものは、何であろうか。
『徒然草』を読む限りにおいて、それは
兼好の想像力論に落ち着くのである。
想像力論、換言すれば不在の美学である。

第百三十七段は、『徒然草』の中で兼好の
想像力論を最も端的に述べている段だと思う。
死を意識の根底に置き、不在という概念を媒介
とすることで、不在と想像力という兼好の思想を
打ち出しているのである。

まず前半では不在の美学が語られている。
対象が不在であるがゆえに美的な世界が広がって行く
と述べられているのである。

現代の美学は想像力を経、不在を媒介とした
自由の概念に帰属させるのに対して、
兼好の想像力論は自由とは対照的な規範の概念に
帰属していくだろう。

賀茂祭の桟敷についても、中世の「都の人」が
祝祭の歓喜さえ内省化してしまわねばならなかった
悲哀が内在的に表現されている。
王朝の美的伝統の規範に、想像力の呪縛された
中世的世界の悲哀を感じるのである。

これが兼好の思想であるならば、中世の人々は
何と哀れだったことか。

(つづく)

徒然草の魅力と、不在の美学 ④

2004年11月17日 13時12分44秒 | ★古典こてん・ことば遊び
吉田兼好は智や賢そのものを求めることを
真実無意味なことと思っていたらしい。

しかし、兼好が名誉や利益を無視しきることが
出来たとは思えないのである。
兼好の言説が貴族的、都会的立場において
なされていることからも、それはうかがうことが
できる。

『徒然草』の登場人物も高位の貴族が圧倒的に
多いように思われる。
それは彼等が伝統文化の担い手であったことに
よるのかもしれない。

そのことに関連して、この作品中「よき人」
という言葉がしばしば使われていることに
気が付いた。
これは身分が高く教養があり、洗練された
上品な趣味の持ち主という意味で用いられている。


  よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、
  興ずるさまも等閑なり。
  かたゐなかの人こそ、色こくよろづはもて興ずれ。
             (第百三十七段)


兼好が「よき人」の教養・趣味・行動を
理想としているのは、洗練された文化が
長い歳月を経て成立したものであり、
それが美的感覚によって支えられていると
確信したからであろう。

文化伝承を自分の使命と感じていた兼好にとって
有職故実的な知識を多く『徒然草』の中に
書き留めているのは当然のことのように
思われる。

(つづく)

徒然草の魅力と、不在の美学 ③

2004年11月17日 13時02分50秒 | ★古典こてん・ことば遊び
それにしても、兼好が仏徒として徹底した生活が
出来なかったのはなぜだろうか。

兼好が死を意識することで、人生をかけがえのない
ものと思い、生の喜びを味わうすべを知っていたから
かもしれない。
兼好は遁世しながら諸縁を放下できずにいる自分に、
激しい苛立ちを覚えていたように思う。
そうした遁世生活のつれづれな日常に、
時折訪れる無常の思いと存命の喜びが、
兼好をして執拗なまでに出家遁世を勧説せしめた
のであろう。

あらゆることに興味を抱くことが出来ながら、
何事にも熱中できなかった兼好の哀しみを、
そこに見たような気がする。


  筆を執れば物書かれ、
  楽器を取れば音をたてんと思ふ。
  盃を取れば酒を思ひ、
  賽を取れば攤打たん事を思ふ。
  心は必ず事に触れて来たる。
          (第百五十七段)


しかし、こうした性格であった兼好を
不幸だとは思わない。
兼好が仏道修行に専念することが出来ていた
とすれば、『徒然草』が後世に残る随筆として
成立し得なかったと思うからである。

『徒然草』には、読者に迫る勢いがある。
それが兼好の内的葛藤と関わりがないと
言えようか。
兼好自身が自分の遁世生活に苛立ちを覚えて
いたからこそ、無常を説き、仏道修行を勧める
調子に力がこもったのである。

また、この作品全体には洗練された文化感覚と
美意識が流れている。
それもあらゆることに興味をもつことの出来た
兼好が得た知識の所産なのかもしれない。

(つづく)

徒然草の魅力と、不在の美学 ②

2004年11月16日 12時51分12秒 | ★古典こてん・ことば遊び
それでは、吉田兼好は果たして悟りの境地に
到達することができたのであろうか。

『徒然草』を読む限りでは、そういったことは
書かれていないように思う。
それどころか、兼好自身が仏道修行に専念していた
かどうかさえ、定かではないのである。
むしろ、死の恐怖を身近に感じることを忘れ、
教養・趣味に精神的喜びを覚えた日も
少なくなかったのかもしれない。

しかし、兼好は出家遁世するだけで救済されることを
固く信じていたのである。


  大事を思い立たん人は、去りがたく
  心にかからん事の本意を遂げずして、
  さながら捨つべきなり。
            (第五十九段)


兼好の理想とした境地は、出家遁世の境遇に身を置くこと
であり、それ以外に仏道修行に専念できる道はないと
考えたようである。

それは一度仏道修行を決意して出家遁世した人間は
その欲望も極めてささやかなもので、
悪には縁遠く、善に近づくことが多いという
考え方によるものであろう。
仏道が衆生を迷いの世界から救済して、
死の恐怖を取り除いてくれるならば、
人は一切のことを打ち捨てて、仏道修行に専念する
決断をすべきであると兼好が『徒然草』で繰り返し
述べているのは、兼好自身が死を身近に意識して
いたからなのかもしれない。

(つづく)

★注:死とか、仏道修行とか、出家遁世とか書いてますが
   ほにゃらかは、いかなるな宗教にも
   まったく興味がありませんです。はい。

徒然草の魅力と、不在の美学 ①

2004年11月16日 12時37分23秒 | ★古典こてん・ことば遊び
  かの桟敷の前をここら行き交ふ人の、
  見知れるがあまたあるにて知りぬ、
  世の人数もさのみは多からぬにこそ。
  この人みな失せなん後、
  わが身死ぬべきに定まりたりとも、
  ほどなく待ちつけぬべし。
            (第百三十七段)


中世の人々にとって死が重大関心事であったのは、
死と死後の世界に対する恐怖心が、
現代の我々の想像を、はるかに超えるものであった
からにちがいない。
動乱の時期へと突入しつつあった鎌倉末期の世相
とでもいうのであろう。

第四十一段の賀茂の競馬の見物に出かけた折りの話
からもわかるように、中世の人々は雑人にいたるまで、
死というものを身近に感じていたようである。
死が背後から忍び寄る恐怖が、常に人々の心の奥に
潜んでいたのであろう。
一度死を意識してしまった者が、安らかな気持ちで
俗事にたずさわっていることができようか。
中世の人簿とは、それを忘れ去ろうとして
出家したのかもしれない。

現在の我々日本人の生活には、緊迫した死の恐怖が
身近に存在するとは言い難い。
イラクの悲惨な情景をテレビで見ていても、
この戦禍が、日本へ今すぐ波及するという恐れを
抱きながら生活する日本人はほとんどいないだろう。
今我々日本人の生活は平和の中にあり、
国際緊張の糸が、明日にも切れるというような
緊迫感はない。
そうした安心感の中で、のんきに生活してるのだ。

しかし、中世の人々にとって、死は明日の我が身に
ふりかかってくるものだったのである。

吉田兼好も、その世相の中で、人生の無常を
ひとしお強く感じていたはずである。
『徒然草』の中で、兼好は執拗に人生の無常を説き、
出家遁世を勧めている。

(つづく)

長幼の序 (ちょうようのじょ)

2004年10月26日 14時51分07秒 | ★古典こてん・ことば遊び
「長幼の序」

意味:年長者と年少者との間だの社会的・道徳的な序列や秩序のこと。

注釈:「長幼序あり」ともいう。「序」は順序の意。

例:長幼の序は、自然な形で生活の上に現れるのが理想的だ。

参考:「長幼の序 一日違えばお辞儀」

  (SHARP電子辞書より)


フジテレビのドラマ「大奥 第1章」の第3話で、この言葉が出てきました。
長男よりも、次男を将軍にすえようとする母(お江与)に対し、
上の者をさしおいて下の者が将軍にというのは、無秩序だという話。

今は、先生に対してでさえも、
「目上の人」という感覚が欠落してますからね~。