パペット劇場ふらり旅 ~広島~

芝居好きの私がめぐり合った人形劇の魅力、たっぷりとお伝えします。

古今亭菊丸広島寄席『お花見寄席』

2009-04-19 | 落語
いつものように、とうかさん圓隆寺の菊丸さんの独演会へ。
年4回の定期寄席、広島で江戸落語を聴くというのがさりげなく出来るのが有難い。
本日のプログラムは

柳家わさび 「子ほめ」
少し遅れて、この人の噺の途中から入場した。二つ目さん。
落語は熱演の子ほめでなかなかよい。好青年ふう。

古今亭菊丸 「風呂敷」
いったいこの兄貴分、風呂敷を持って家を出た時からこんな解決法を考えていたものなのかナゾであるが、正体のわからないほど酔っているはずの酔っ払いのほうも意外とまともな受け答えをしていることに気づく。どのあたりが艶笑落語ってことになるのか。演じ方次第なんだろうね。

~ 仲入り ~

三増れ紋 「曲独楽」
変った名前だなあと思っていたら女性の芸人さん。何とも華やかな舞台だ。
ちょっぴり独善的なおしゃべりもなかなか上手い。たちまち客席のムードを掴んで、独楽の曲芸を生で初めて見るお客さんでも文句なしに楽しめる。
独楽の剣わたり、広げた扇の上で廻す芸、客席から好きな男性のタイプだという30代後半の独身男性を選び、糸の片方を持って貰い独楽の糸渡り。最後の風車(長い棒の天辺で廻る独楽がほぼ真横の状態で廻る様が風車に似た所からこう名付けられた)は客席の上空で廻してみせる。今、寄席で売れっ子の芸人さんだそう。

古今亭菊丸 「井戸の茶碗」
千代田卜斎がいい。若いときに聴いた時には、所詮、武士の意地にしがみついた情けない男じゃないかと思っていた。菊丸さんの朴斎は、品がよくて哀れさを感じさせる。職を失い、歳をとり、生活も困窮して、そんな時ほど最後の最後に自分自身を支えている誇りだけは失いたくないという心情が今ならばよく分かる気がするのだ。遣えば無くなってしまうお金とは50両・100両であっても換えられないのだ。

この噺は、たとえ自分の得になることでも、理に適わないことつまり不正や不正義はしたくないという庶民の矜持を含んでいる。
単なる二人の意地の張り合いで間に立った屑屋の清兵衛の困窮を哂う噺ではない。
清兵衛の好人物ぶりがことさら表立った噺として演じられることも多いが、主役はやはり千代田朴斎と高木佐久左衛門であろう。

3百文のお金で仏像の中身の50両は買えないと言う高木。
売った仏像の中からどんな大金が出てこようと、そもそも売りに出すような不心得な自分が悪いのだから、自分に権利はないと主張する千代田。
お互いが出てきた50両を自分の懐には入れられないと言い張る。

自分の得になるのならば多少の不正義には目を瞑って見ないことにしてしまう。そんな世の中である。単なる美談ではない深いものがある。

最後に井戸の茶碗の半金の150両を受け取るのに娘を嫁にやるというのが女としては少し異議があったのだが、彼女も父親と高木佐久左衛門のやり取りは傍らで見ていたであろう。
たとえ会わずともこのような男に好感を持ったであろうとことは想像が付く。

優しく細やかでという女らしさの規範は、本来の女性がないものを求めている。
同様に男らしさの規範も男が持っていないものを求めているように思う。
多くの男はケチで小心で長いものには巻かれろとばかり不正義に対しても平気で目をつむる。実は高木佐久左衛門のような男は希少なのだ。

彼女の結婚生活が幸福である可能性は高い。


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