パペット劇場ふらり旅 ~広島~

芝居好きの私がめぐり合った人形劇の魅力、たっぷりとお伝えします。

「マザーヒステリカ」(演劇引力廣島 第6回プロデュース公演」

2009-02-22 | 演劇
「マザーヒステリカ」はとても楽しみにしていた公演である。直接、生の舞台を味わいたくて、事前企画のたぐいはあえて参加しないようにしたくらいだ。
脚本の藤井友紀さんは、自分の劇団を持ち演出もする。作品に波があり私の好みじゃないこともあるが面白い時は断然面白い。以来、私は男の演出家は何となく信用しないようなところがある。
それに大好きな新名さんほかすっかりお馴染みになった天辺塔の女優さんたちがたくさん出演するとなるとちょっと期待してしまうのだ。

当日の客席に着き、裸舞台の傾斜の付いた砂浜のような巨大な舞台セットを見た瞬間、すこし不吉な予感が走った。以前に東京まで観に行ってかなりがっかりした新国立劇場の「混じりあうこと、消えること」に荒涼とした舞台の佇まいがそっくりだったからである。
この舞台で家族の崩壊と再生が描かれる。ひとつひとつの演技が何かの意味を仮託されているのだろうがそれが全く分からないまま舞台は進行していく。
夫婦が喪服で登場するところまで一緒である。
映像やカラオケやマイクを通した電子音の台詞が目の前の舞台からますます私を遠ざけていく。大音響の中でしばしば睡魔に引き込まれる私。

天辺塔の女優さんたちはその個性的な声柄がステキで台詞のキレがいい。特に増元悦子さんは大好きな役者さんで歌も上手いのだ。断トツはこんな抽象的な舞台なのにまるで日本家屋の中のようにしっとりと台詞が伝わってくる竹元美恵子さん。以前に観たやはり面白くない芝居の時も彼女の台詞のシーンだけが干天の慈雨のようにホッとしたのを思い出す。
一番楽しみにしていた新名基浩の台詞だけがマイクを通して喋る電子音で、これには椅子から転げ落ちるほどショックを受けた。この小さな演劇空間でなぜ役者のマイク音の台詞を聞かされなきゃならないんだ。

終演後のアフタートークは参加せずに帰ることにした。
もはや芝居のつまらなさを追求する気力させ失せていた。


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4 コメント

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ウイニングランはまだ早い (まるちさんのおともだち)
2009-02-22 23:56:07
(まるちさんからこちらのblogを教えてもらいました。)
しがない演劇関係者であります。先日の畑澤さんの演劇サロンでお話ししましたね。


いつもながら詳細なレポートと的確な批評ですね、勉強になります。

私は千秋楽を見てアフタートークを見ました。

アフターで田辺氏が言ってましたので補足しますと。
新名さんのマイクパフォーマンスは父から娘への『一方通行』なコミュニケーションの象徴らしいです。

右翼の街宣車や、警察が立て篭もり犯人へがなる拡声器も、そういえばあんな感じです。

他にも『昭和歌謡大全集』や映像の多用など、『異化効果』とも取れる演出はいくつかありました。どこまでがシナリオの指示か、どこからが演出家の所産によるものかは未確認ですが、どちらにせよ『共犯関係』(笑)にはあるようです。

逆に、教えてください。ラストの喪服について
これって亮子が自殺したて事なんですか?

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
さて。数年前に行われた、黄金山アタック(比治山ブロック)公演
『血と恋』。

私が広島で観た芝居のオールタイムマイベストであります。

音楽劇とも言える本作品は、戯曲、演技、末田晴のペンによる楽曲、井藤真帆子のピアノプレイ…。全てが奇跡的な融合を果たしていました。


あの路線でドーンと楽しいの作ってほしいですね。

でも作らないだろうなあ。
(彼女が自己模倣のような真似をしない事は言うまでもありません。)


さて、僭越ながら言わせていただきます。

ここ数年の藤井作品に漂う独特の洒落た空気

これを評価してるのは一部のマニアックな演劇関係者だけですよね。

行政がバックアップした文化事業でもある今回の公演。
広島随一の劇作家である彼女のポジションとして、今求められているワークは

普段芝居を観た事ないイチゲンさんを取り込むような間口広い作品づくりだと思うんですよ。


彼女の作風は(進化というよりは)深化することでしょう。

ただ、東京ならいざしらず。広島で理解されえるとは思えず。このままのカタチで一般化、メジャー化するとは思えません。残念ながら。

『現代アート』が珍しがられ、遠巻きに尊敬されることはあっても、イマイチお金にならないのと同じです。

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
『坂の上の家』『紙屋悦子の青春』など親しみやすくウェルメイドな作品で知られる松田正隆さん。


一転、近年の作品が観念的、抽象的なポエティックな作風になった事は、よく知られています。

作家的な先鋭化に見えるこの事象も、松田氏が国内の演劇賞を総なめにしてしまったが故の『ウイニングラン』状態であるから、という状況説明が必要だと思えるのです。
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まるちさんのおともだち様 (おけい)
2009-02-24 23:49:55
ていねいなコメントありがとうございます。
自分にとって面白くなかった芝居の感想はブログには
アップしないようにしていました。

的外れに褒められても言われた方は傷つかないでしょうけれど
勘違いや理解不足で貶されたらやはりよい気持ちはしないでしょうし。
それに私がどんなに詰らなくても、面白いと思ってごらんになる方もいらっしゃる訳ですし。

ブログに腹立ちまぎれに書いてしまったあとはやはり後味も悪い。最近はなるべく自分の胸三寸に納めることにしていました。

畑澤さんがおっしゃっていましたが、芝居を三つしか見たことのない人よりもたくさん観た人の評価の方が信頼できると。

私はたくさんの芝居を観てきましたが、お芝居を観るのはちっとも上手くなりません。思いがけない発見やら感激やらでいつもあたふたしています。

ただ、たまたま観た芝居がハズレで(いわゆる「地雷を踏む」って言うヤツです)もう芝居なんか観にいくのはこりごりという被害だけは最小限にできないだろうかと思っています。

イチゲンさんを増やすという地道な取り組みには頭が下がります。でもそれと背中合わせに芝居嫌いを増やしている舞台も少なからずあるように思います。

せめて映画並みに、信頼できる事前のおススメ情報があるといいですよね。
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反論とお詫び (ふるやま)
2009-03-03 01:24:42
わたしもまるちさんから紹介いただきました。
マザーヒステリカのスタッフをしたものです。

覚悟の上で読んだので、そこまでダメージはありませんでした。

スタッフとして、反論じみたことを書かせていただきます。
おそらく最初の嫌な予感からこの劇を拒否された部分もあるのではないかと感じました。
難解な作品ではありましたが、「まったくわからなかった」という感想は周囲には(気をつかってか)ありませんでした。


にしても、一見さんを取り込む類のお芝居であったかはわたしも疑問です。
制作部としては作品のニュアンスは精一杯伝えたつもりではいましたが、それでもずれは解消しきれなかったとも思います。
好き嫌いのわかれる作品であったのに加えて、趣向が物語に勝ちそうなお芝居でしたので、宣伝の仕方も工夫が必要だったかもしれません。


もうひとつ、言い訳です。

今作品の売りであり、弱みであったと思う点です。
藤井さんの作品を期待した人にとっては、プロットも演出も違う人物であることから期待を裏切られたと感じられるかもしれません。
その化学反応のようなものを楽しんでいただければよかったのですが、残念ながらそれもがっかりされた原因のひとつかと思われます。
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ふるやまさま (おけい)
2009-03-04 20:23:50
新国立劇場の「混じりあうこと、消えること」はご覧になりまして?
よく似た趣向の舞台で、作品の善し悪し以前にオリジナリティに欠けるんじゃないかと思ったのです。

私はアフタートークが大好きで、舞台が気に入ったときもちょっと文句がある時もできる限り参加するほうです。
この日もどうするか一瞬ためらったのですが、さして長い上演時間でもないのにわりと席を立って帰る人が多かった。
私と同じように思ったのか、憤慨したのか、呆れたのかはわかりませんが。
少し出遅れた私もその人波に紛れて会場を後にしました。

「趣向が物語に勝ちそうなお芝居」もけっこうですが、普通の観客の生理感覚を逆なでしてまで必要な趣向だったのでしょうか。

どんな芝居であろうと役者や演出家が精いっぱい作り上げた作品ならば、極端に反社会的なものでない限り、世の中に存在する権利はあると思います。大いにやって下さっていい。

でも、公費を使っての舞台であると考えた場合、一市民としてこのような作品には賛同できません。
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