じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

浜千鳥の哀しみ

2005-03-27 | 歴史(history)
 鹿島鳴秋のことです。彼は小学卒後に商家に奉公に出、いくつかの職業を経ながらも童話を書いていました。そして大正五年に小学新報社という雑誌社の創設に参画し、編集の中心となって「少女号」「少年号」を発刊します。ちょうどその時期に清水かつらも新報社の本体であった文具商の中西屋から移ってきたのでした。鳴秋は26歳、かつらは19歳のときでした。同じ職場には後年の作家・山手樹一郎(テレビ映画化された「桃太郎侍 . . . 本文を読む