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靖国神社はいったい誰を平等に祀ってるのか?

2009-07-07 | 靖国神社
靖国神社の御祭神

>このように多くの方々の御霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にあるからです。つまり、靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の御霊」であるという一点において共通しているのです。

↑:一律平等に祀られているか????ある意味そうだ。

『勝てば官軍、負ければ賊軍』・・・・非常に恐ろしい言葉である。

明治新政府(薩)は即ち、
『玉(天皇)』を手中にし、英国の最新鋭武器で戦って勝利した。
だから結果的に「官軍」になっただけだ。


長州藩は「禁門の変」(維新の数年前)では朝敵だったんだ。
“会津藩に守られた孝明天皇”の、正しく敵方だ!!

なのになぜ、孝明天皇の息子の睦仁が突然、長州に引っ付いたのか????
会津藩こそが、天皇と幕府を守護したんじゃないか???


もしも、明治天皇が「平和のお方」であらせられるのならば、
戊辰戦争は誠に“不幸な戦い”として
会津藩や上野彰義隊なども、公平に祀るべきでは無かったか??

明治天皇は決して中立な立場で東京招魂社を建てたのでは無いんだ。
ハッキリ言うと、
高杉奇兵隊(下関櫻山招魂場)を引き継いだ長州藩士の為の東京に於ける『招魂社』でしか無かったんだ。
木戸孝允・大村益次郎・伊藤博文らの長州人らが彼らの同士を祀っただけ!
それが『東京招魂社』だったんだ。



靖国神社はそもそも、
(主に)長州藩士の御霊を祀る為の
「招魂場」だったんだ。



靖国神社は、最初「東京招魂社」と呼ばれた。

2009-07-07 | 靖国神社
靖国神社を斜め45度から見たら、どうなるか・・・。

靖国神社ホームページもっと詳しくでは↓

>開国派と鎖国派の対立が激化し、日本の国内は大きな混乱に陥ります。そうした危機的状況を乗り切る力を失った徳川幕府は、ついに政権を天皇に返上し、日本は新たに天皇を中心とする近代的な国づくりに向けて歩み出すこととなったのです。

しかし、そうした大変革は、一方において国内に避けることのできない不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、近代国家建設のために尽力した多くの同士の尊い命が失われる結果となりました。そこで明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社」を創建したのです。この招魂社が今日の靖国神社の前身で、明治12年(1879)6月4日には社号が「靖国神社」と改められ別格官幣社に列せられました。

と、ある。
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↑:『明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社」を創建したのです。』

この説明文・・・そのまま信じて良いものか??

明治天皇はこの時、18,9歳だ。本当にご自分で考えられた事だろうか?

この説明文を読めば、如何にも天皇は“中立”なお立場で、
国家に殉じた人々の御霊を慰めるみたいに書かれてあるが、果たしてこれは真実だろうか??

どうも嘘くさい。
うむ、やっぱり嘘だ。

●天皇陛下の発案では無い。
●「東京招魂社」は決して“国に命を捧げた人”を祀っていたのではない。

ワシはやっと、最近、この事に気が付いた。
お恥ずかしい限りだ・・・・・。