教育に関する・・・・。

2006-08-22 | 昔の話
お父さん、お母さんには、親孝行をしましょう!

兄弟姉妹は、力を合わせて助け合い

夫婦は仲睦まじく理解し合い

友人は心を開いて信じ合い

そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ

学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を高め、

さらに進んで、社会公共のために貢献し、

また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、

非常事態が発生した時は、義の心を捧げて、

国の平和と安全に奉仕する事にしましょう!!






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・勅語。

あべの橋のロイドおじさん。

2006-08-22 | 昔の話
 ハロルド・ロイドは、楽しい喜劇役者。

バスター・キートンは、ニヒルな喜劇役者。

チャーリー・チャップリンは、哀愁のある喜劇役者。

昔、近鉄あべの百貨店の1Fに、マクドナルドがあった。
表で野球部の仲間とチーズバーガーを食べてた時
白いスーツで白い帽子、ロイドメガネにこうもり傘を持った
ハロルドロイドの様なおじさんが何処からともなくフラフラとやって来た。

女子高生の前で、徐(オモムロ)に帽子を逆さに被り
メガネも逆さにかけ
懐から煙草ケースを出したかと思うと
1本取り出し、右の鼻の穴へ突っ込んだ!
そしてもう1本を、左の鼻の穴へ・・・。

女子高生は、唖然としている。
そして白い上着を脱いで、裏返しに着て
おじさんは、にっこり笑って歩道橋を上っていったんだ・・・。








・・・・て、オカマの“ケンちゃん”に、その話をしたら
『ウソよ、(笑)・・絶対にウソよ!』
って云われた・・。

ホントなのよ~~~~~!!

硫黄島:星条旗:ジョー・ローゼンタール。

2006-08-22 | 外国
94歳とは・・・。一つの時代の終わり・・。

硫黄島の戦いも、苛烈で悲惨な戦いだったのよね~~~。
前にも進めず、退却も出来ない戦い・・。

ワシが20数年前、小笠原、父島、母島まで旅をした時に
硫黄島墓参団が来てた。

お花や遺影を持って・・・、その当時は結構沢山お参りに来てたよ~。


熱い、熱い島で、水も食べ物も、ろくに無い状態で
日本兵は良く戦ったなぁ~、可哀想に・・・。

今を生きる我々は、あの人達の壮絶な人生を軽々しく見過ごしてはならない・・・。

『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』:1分程待ってね!^^ クリント・イーストウッド監督

クンユアム旧日本軍博物館

2006-08-22 | 外国
私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、
帰還する最後の一兵までを知っている。
クンユアムの日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。
カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。
優しかった日本兵を私は忘れない。 
  ジャルーン・チャオプラユーン(元運輸大臣)



クンユアム旧日本軍博物館

チューチャイ・チョムタワット氏:タイ、チェンマイ在中
「日本兵は、規律正しく、優しかった。
クンユアムの人達は、日本兵が好きだった・・。」

ミナミのオカマのマスターは、今、どうしてるかなぁ・・?

2006-08-22 | バカばなし。
ネプチューンの名倉君似のオカマの“ケンちゃん”・・・お元気~??
あたいも元気でやってるわよ~


昔、大阪天満橋の交差点で、交通量調査をやった事があるの・・・。
木の台にカウンターが5,6コあって、
「歩行者」!「2輪」!「普通車」!「大型」!
なんてカチャカチャやってたのよ~。

車なんて6台ぐらい、一遍に通ったりして
一台漏らさず、カウントするのに必死に燃えてたのよ・・。
2輪、普通、普通、2輪、大型、普通、2輪、・・・!!
素早い!反射神経抜群じゃ!





すると、そこへ50歳ぐらいのおじさんが
1輪車に乗って、ス~~~~と通り過ぎた!!
ナンじゃ~こりゃ~~


・・・“ケンちゃん”に、この話をしたら
首を振って『ウソよ~、ウソ、ウソ』って笑われた・・・・・。



やだ、ケンちゃんったら、ホントなのよ~~~!

一輪車のおじさん、メガネかけて、にやけてたわ~。