らんまりのラクガキ。。。 初めて遊びに来てくれた方は コチラ→☆click☆ 『健常者』か『障害者』か。
旺ちゃんだったら 酸素をしているから 見た目で『障害者』だとすぐわかる。 でも同じ病気でも フォンタン術後酸素も外れ 元気に飛び跳ねている子どももいる。 同じ『障害者』でも 見た目では判断つかない。 退院後 障害者用駐車場を利用するようになって 気付いたこと。 「車の乗り降りがしやすい」 ということ。 旺ちゃんの場合 酸素ボンベを担いで チャイルドシートからの乗り降り。 これを普通の駐車場で行う場合 旺ちゃんに怪我をさせないように 荷物を隣の車にぶつけないようにと かなり気をつけなければならない。 障害者用駐車場に停めさせてもらって 気付いたことは 隣の駐車場までの幅の広さ。 車椅子などを利用する方にとっても 利用しやすいスペースなんだろう。 ...もしかしたら 『健常者』では なかったのかもしれない。
でも
障害者用駐車場を利用しなくても
いいように見える方が
利用している現場を見ることがある。
その人が大人であれば
よくはないかもしれないけど
まだいい。
時々家族で車から降りてくる人を
見かける。
前に書いたように
見た目では『障害者』かどうかなんて
判断つかない。
でももしもその家族全員
『健常者』だったとしたら...
親は子どもに
何を伝えてしまうんだろう。
もしも子どもに
「ここに停めていいの?」
と聞かれたら
なんて答えるんだろう。
その答えを聞いて
子どもは何を思うんだろう。
子どもは親から
...何を学ぶのだろう。
私たちが住んでいる家の駐車場は
もちろん障害者用に
造られているわけではないから
普通の駐車場だって
狭くても使えるわけだし
常に障害者用駐車場を
利用しているわけではない。
よっぽど駐車場があいていないときや
天候の悪い時以外は普通の駐車場に
停めることの方が多い。
障害者用駐車場に車を停めると
バーが上がり
それを下ろすには
お店のインフォメーションへ行き
『障害者』だと証明できるものを
提示してコインをもらうシステムを
導入しているお店もある。
障害者手帳を提示するだけでいい。
面倒なことはない。
ただこのシステムを
導入しなければならなかった
背景を考えると
どこか寂しさも感じてしまう。
おそらく
障害者用駐車場の
不正利用が後を絶たないという
現状があるのだろう。
ここまで書いてきて私が言いたいことは
『健常者』VS『障害者』
ではない。
例えば
「健常者のくせに
障害者用駐車場を使うな!」とか
「障害者なんだから障害者用駐車場を
使って当たり前!」とか
旺ちゃんにはそんな風に
思ってほしくない。
障害者用駐車場は
どうして造られたのか。
旺ちゃんのような人たちのことを
思い浮かべて
「こうしたら便利かもしれない!」
と考えてくれた人たちがいるから。
旺ちゃんには
こういう場所を考え提供してくれる
造ってくれる人たちに対して
感謝できる子になってほしい。
「使いやすい!」
「便利だな!」
「ありがとう!」
こんな風に思ってほしい。
障害者用のあのスペースは
人の優しさで造られている。
そのことを旺ちゃんに伝えていきたい。
人間の醜い部分が
旺ちゃんのきれいな瞳に
強く映り込んでしまわないように。
『身体障害者』の家族である 私たちにできることは 障害者用駐車場を 利用できること1つにしてもそうだけど 周りのみんなに 支えてもらっていることに 感謝することなんじゃないかと思う。 それは決して 『障害』を持っていることに対して 引け目を感じているからではなく ましてや『障害者』だからといって 優先されることが当たり前でもない。 今回のことで身が引き締まった気分。 当たり前なんだけど 私は『身体障害者』の母であると同時に 旺ちゃんの母だ。 誰かを想うことに 『健常者』も『障害者』もない。 相手は人だもん。 にほんブログ村 いつも読んでくださり ありがとうございます。 ランキング参加中です。 クリックよろしくお願いします。 人気ブログランキングへ コチラもクリック よろしくお願いします。