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気ままな散策に出かけた寺神社、風景、人、城跡、歴史建物、花などです。写真は他に転載禁止

三重県桑名市の長島を散策

2006年10月03日 | 三重県の城

三重県桑名市長島を散策に

長島城跡から織田信長と対決した一向一揆の関係へ歩いた。

 

長島城跡の長島中部小学校前

説明板があり城郭図は当時のものかは不明。1245年藤原道家がこの地に造り、次いで1482年伊藤重晴氏が再建。長島一向衆と織田信長との交戦後、1702年増山正弥が長島城に移り明治4年廃藩まで・・・

小学校内にある「大松」を見に許可をもらい入った。

現地説明板。樹高約15m 周2.8m江戸時代に長島城があった頃本丸の南西隅にあったもので樹齢三百数十年と推定。

学校から長島川を見ながら歩き・・・

橋を渡り左へ蓮生寺門が長島城門であるので見に。この標識の近くに旧東海道の道標があるが昔からのものかわからない・・・・

蓮生寺の門(レンショウジ)は長島城の大手門

説明板より、明治九年(1876)蓮生寺が譲り受けた同寺の山門とした。旧大手門より縮小されている。

標識のところまで戻り南へと長島川(長島城の内堀)横道を歩き・・・・南へ

又木茶屋の前にある案内図。又木茶屋は郷土の佐藤画伯が生前住んでいたもので改修し庭園などがみられる。平成13年に交流施設となつた。

又木茶屋の図から国道1号を渡り5分程で願證寺が見えてきた。

願證寺門

境内には長島一向一揆殉教の碑がある。碑の裏には説明が刻まれている。織田信長は1571年に長島を襲撃したが門徒の抵抗が激しく、1573年再び7万の大軍で水陸から包囲して城を落とした。

願證寺の帰りに旧久我屋敷があり、やすらぎパークとして無料休憩場となっている。

久我屋敷は長島藩の重職にあったが、明治4年(1871)の廃藩置県によって長島県が置かれ当時の藩主増山氏が知事となり・・・その後明治5年久我氏が戸長に任命され・・・・明治22年(1889)まで。昭和二十一年(1946)農地改革で農地解放され屋敷も残り・・・平成十五年(2003)

長島町が譲り受けて、観光客の休憩施設となった。まだ花壇などすくない,この家の裏には長島川があり川沿いに散歩道が整備されており長島中部小学校前まで行ける。

管理人さんとの話では「なばたの里」から長島城跡までの散策路の整備中とのこと。川には木船を置いたらと提言したが・・・各設備や寺には駐車場があるが国道一号からは入りにくい。標識や案内板矢印など今後期待したい。

来年に楽しみを残し帰路

 

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