今年最後になる堀川文化探索隊へ参加した・・・久しぶりとなった。
名古屋城の北にあたる堀川から黒川と名城公園へ
堀川朝日橋にて・・・以前見なかったがいつできたかな・・
朝日橋の下を見ると・・・堀川の観光船が見えた。清正・利家
以前に乗船した船かなと思いながら・・・・探索隊を探した。
やっと名古屋城西付近で見つけた。・・・ここで資料もらい歩く
資料から・・名古屋城築城ともに造られた堀川大きく二度姿を変えている・・・・・
犬山の木曽川から庄内川の水を黒川に・・・堀川と輸送と当時の農業用の水などの不足対策など・・・・問題を解決するために黒川開削が
1876年に当時の愛知県技師・黒川ハルヨシ氏であり・・・功績からその名から黒川となった。(庄内川と堀川)
名古屋城西のホテルを北上したところの大幸川に架かる中土戸橋
手前付近には今の名城公園・・・かっての御深井の庭であった。
この地区は鉄砲組・弓組が住んだ言われている。出丸
中土戸橋から北を見る大幸川(現・黒川)・・・・三郷ゲートがみえる
この後右の御深井の庭へ・・・・現・名城公園
深井(ふけ)・湿地や沼地の意味
資料の古地図を見ながら・・・なるほどと思い
御蓮池にて・・・ここが整備されたのは義直公のときで築城のときの
土取り場となり・・・池となった。
いつも名古屋周辺は歩いているが・・・今日は堀川から北の黒川に
ついてよくわかった。資料には細かく説明があり読みながらの移動
しているので・・・もどってじっくり読んだ。・・・次回は黒川をさらに北上
探索隊に参加しょうかな・・・ 寒かった