愛知県豊田市の寺部城跡へは数回目となるが、今日は別件の目的で寄ってみた。
特に変化はなかった。・・・・
随応寺へ・・・南から山門入ると蓮の鉢が並んでいる。ミニコミ紙や報道テレビニュースで紹介されている場所です
前回も訪問したときには・・・隣の説明板読んで・・・門の扉がないのは何故か説明されていた。「扉なしの門」その記載がなくなっていた。
現在の説明板。
以前には1819年に門が完成したときには、六本足で唐風造りでりっぱな門でした。11代当主から「寺格に過ぎたる門」と指摘され扉をつけなかった。・・・・これが以前の説明であったが、今回はこの部分が削除されていた。
住職の説明では寺伝と違いがあり、郷土史家のおもいではなかったかのではと・・・・
いろいろなお話を住職から説明いただき感謝。
寺の北側にある墓所へ・・・今日の目的地である。
山本勘助は武田軍師でしられているが、修行はよくわかってないが、三河牛久保の大林勘左衛門の養子後この三河の寺部城主鈴木日向守重辰(重教)に入門したと伝えられている。その関係先をとりあえず確認にと思いまずはここへと・・・・
この三基の墓は鈴木家の墓碑。
上から・・・鈴木下野守重明
中・・・・・・鈴木日向守重教(重辰)
(重教=しげのり)
下・・・・・・鈴木彦三郎重次
山本勘助の師はこの鈴木日向守重教らしい・・・寺部城はそのご松平清康や孫の家康と再三戦い1566年この地から矢並へ行き逃げ、最後には渡辺半蔵守雄氏が入る。
山本勘助に関係する墓碑や生誕地がいろいろな所にあり、まだまだ散策は続く・・・・