岐阜市の金華山の西にある川原町並みを歩いた。
斉藤道三・織田信長の頃から開かれた城下町であり、明治には富茂登村(ふもとむら)と呼ばれていた。川原町(湊町、玉井町、元浜町)
後ろ側は長良川であり、1200年伝統漁法を伝える鵜飼の観覧船乗り場です。
気が付かなかった歌碑があった。
住井富次郎商店。美濃和紙で柿渋を塗ってある、うちわを作っているお店です。4代目の主人とお母 . . . 本文を読む
岐阜市長良の松尾池へ行って来た。明治18年内務省の直轄事業としての貯水池として作られた。明治24年に濃尾大地震で被害に遭われて、その後、岐阜市になり昭和7年、当時の松尾国松市長により池を修理した。市長の名の松尾池となった。
かもの生息地でもあり、冬や春には多くのカメラマンが来る場所でもありますが、今日は、家族の見学者のみであった。
池の前にある石碑。裏側に説明が書いてあります。 . . . 本文を読む
岐阜市の北にある。通称だるま観音へ行って来た。稲葉一鉄のゆかりの寺と言われていて、金栗山大龍寺,山号は宝霊山と称す。
大龍寺門
門から本堂と達磨像が見える。
この達磨像は約5メートル位の高さであり、平成になって寄贈された。
中央の赤い建物が達磨堂。
達磨堂ないの祈願用だるま。
大きいな寺であり、裏側には庭園があるがこの日は見られない。いつかは見たいと思い . . . 本文を読む