「わたしを離さないで」の最終回を見ました。
テーマが重くて暗いせいか視聴率は芳しくなかったですが、第1話からずっと見続けてよかったな、と思える最終回でした。
のぞみが崎で隠遁生活を送っている恵美子先生から、「猶予」はないと聞かされた恭子と友彦。
おそらく最後になるであろう、三度目の提供を目前に控えて自暴自棄になった友彦は、恭子を突き放してしまう。
そんな中、恭子は街で偶然龍子先生と再会し、龍子先生に誘われて友彦と一緒にサッカー観戦に行くことになり…
先週、美和がいなくなったからかドラマの展開が淡々としている気がしましたが、今週の最終回はもっと淡々としていました。とはいえ別に中身が無いという意味ではなく、場面場面に静謐な美しさや、悲しいけれど厳かな雰囲気があって、画面に引き込まれました。
龍子先生が誘ったサッカーの試合は、一流のプロの試合ではなく、小学生のサッカーチームの試合。
応援席には試合に出ている子供の父親が、子供に向かって「ヒロキ!」と叫んでいる。
その名前を聞いて、恭子と友彦はかつて陽光学苑にいた同級生のヒロキを思い出す。
ヒロキ…そんなのいたっけ?
というのは冗談で、はい、いました。塀にはしごをかけて、学苑の外へ飛び出していった男の子2人のうちの1人ですね。
そして明かされる衝撃(?)の事実。なんとさっきからヒロキヒロキと連呼しているお父さんは、子供の頃、陽光にいた方のヒロキから心臓を提供されていたのでした。じゃーん。あの時、恵美子先生が龍子先生に言ったのは本当だったというわけです。陽光を抜け出した2人は、大人になるのを待たずに提供に回された…ということのでしょう。ヒロキだけじゃなく、きっともう1人も。
そして、心臓を提供してもらった少年は、長じて父親になり、自分の息子に自分のために心臓を捧げてくれた少年の名前をつけました。死んでしまった方のヒロキへの感謝をこめて。もし大人になるまで生きながらえても父親になることができなかったヒロキに。皮肉です。
テレビを見ているこちら側の感覚としては「ひぃぃぃぃ!!」となってしまう話で、龍子先生自身も純粋に「いい話」だと思っているわけではないようですが、それでも恭子と友彦に「生まれてきてくれてありがとう」と告げます。むむむむーん。これが、龍子先生が彼ら提供者に対してできる精一杯なんですね。その後の恭子と友彦の会話からも、龍子先生の話に2人がまるっと納得しているわけではないというのは伝わってきたので、制作側も龍子先生の話で視聴者に感動を押し付けようとしているわけではないのがわかりました。結局、龍子先生は龍子先生なりに恭子たちのことを思っている。でも何もできない。それを歯がゆく思っているからこその「生まれてきてくれてありがとう」なのでしょう。恭子と友彦が、龍子先生に「生まれてきてくれてありがとう」と言われて怒らないのは、諦めからもあるけど先生を慕っているから。お互い、相手を思い合って、すれ違っている。現実世界でもよくあるよなぁ、と人生の走馬灯を回しながらしみじみ思いました。でももし、サッカー観戦の場に美和がいたら、先生に「はぁ?何言ってんのぉ??」とつっかかったかもしれませんけど。あの場に美和がいなかったのが、とても残念です。
最終回なので、陽光で美術を教えていた山崎先生も再登場していました。山崎先生は陽光がなくなってから、提供者じゃない子供に絵を教えていて、同時に子供たちに提供者の存在も教えていました。子供が描いた「提供者」の絵に描かれた子供は、幼い頃の恭子や友彦みたいで、来ている服は灰色で地味だけど、楽しそうにしています。絵を描いた子は陽光の子供を見たことがないだろうから、あの絵は山崎先生から見た恭子たちのイメージなんでしょうね。山崎先生が恭子たちのことをどう思っていたのか、これまであまり描かれなかったものが、あの一枚の絵に込められていました。
恵美子先生は、提供者から臓器を移植することができるおかげで社会の高齢化が進み、病気になった高齢者が提供を受けることで生きながらえることを拒むようになった、と語ってました。まあ確かに、臓器提供で寿命がいくらでも延ばせたら、今度は逆に「いつまで生きればいいのか」ってなっちゃいますよね。死ぬタイミングを失っちゃうというか。恵美子先生のセリフに、清水玲子の「竜の眠る星」を思い出しました。最終回の、ジャックの「人は百年以上生きられない」というセリフ。百年以上生きると、抱えてきた悲しみや苦しみに押しつぶされてしまう、とかなんとか(うろ覚え)。
三度目の提供を終えた友彦を見送り、結局何度提供をしたのかわからない柄本佑も見送った恭子は、見送った人の分だけ宝箱がいっぱいになって、ついにはふたがしまらなくなりました。真っ暗な、一人ぼっちの部屋で。取り残されて。宝箱がいっぱいなのは、恭子が出会った人たちのことを大切に思っているからだけれど、その分寂しさも伝わってきます。でもだからといって、出会った人たちとの思い出をぞんざいに扱うのは、それもまた寂しいことでしょう。
ドラマのラスト、おそらく恭子同様孤独と虚しさに苛まれているであろう恵美子先生を置いて、恭子がのぞみが崎の海に入っていくのを見て
「おいおいそんな終わり方はないよ」
とハラハラしましたが、そこになんと、友彦のあのボール、友彦が死んだ翌日に恭子が海に流したボールが登場!さすがドラマです。いや、さすが友彦のボールです。恭子の入水を止めました。
なかなか提供の通知が来ず、みなに先立たれてしまった恭子。なんのために生きているのかわからない。いつまで生きればいいのかわからない。それでも、思い出を抱きしめて、宝箱を抱えて、生きる。砂浜に残した足跡が、波に洗われて消えてしまっても。提供者であってもなくても、誰の足跡も、波は消していくから。それは変わらないから。
「提供者」という特殊な設定のおかげで、このドラマは現実離れした話のように思ってましたが、最終回で恭子にまだ提供の通知が来ない=普通の人間と変わらない状態であることで、取り残されてさまよう恭子の姿が現実の世界にいる人間と重なりました。結局、最後まで恭子たちの世界は大きく変わることはなく、カタルシスもあまりない結末でしたが、生と死について考えさせられる、良いドラマでした。
次クールのドラマはこのドラマと真逆のベクトルのドラマみたいですが、さてどうしようかな。。。見たとしても、多分感想はなしだな。。。
というかこのドラマの最終回の余韻が残る中で、中谷美紀に「私、結婚できないんじゃなくて、しないんです」と言われてもねぇ…面白そうだけど。
(個人的には徳井の標準語を聞かされるのが苦痛)
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