Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

角田光代「かなたの子」

2014-07-12 23:50:10 | 読書感想文(小説)

角田光代さんのちょっぴりホラーな短編集、「かなたの子」を読みました。
図書館で本を物色しているときに、たまたま目に入ったのでこの本を借りたのですが、予想外におどろおどろしい内容だったので驚きました。とはいえこの道(どの道だ)の先輩の岩井志麻子に比べればドロドロの濃度が低いので、読み終わった後トイレに行けなくなるなんてことはありませんでした。もっとも、岩井先輩の小説もドロドロしすぎて恐怖感はないんですけど。

収録されている小説は8編。現代を舞台にしたものから、昭和らしきもの、それより前かもしれないものと、物語の舞台はさまざまでしたが、8編のうち1編(『同窓会』という話)以外は全部

「男なんてみんなもげてしまえ」

という、多くの角田作品と同じテーマでつながっていました。いや、冗談でなくマジで。

しかし、「もげてしまえ」と恨み罵る気持ちの一方で、一周回って男の愚かさを、その愚かさを許してしまう女の愚かさをも愛おしく思う懐の広さを感じる話もありました。この世の恐ろしいものがすべて解き放たれた後、パンドラの箱に残っていたのは希望みたいな。希望があるから人はまた立ち上がり、また過ちを犯し、そしてまた立ち上がり…みたいな。厄介ですねぇ、希望って。でも、それがあるから生きていけるんですねぇ。ほんとに厄介だわ。ぶつぶつ。(※個人の感想です)

では、8編それぞれの感想を。


「おみちゆき」
いわゆる即身仏の話ですが、結末がなんとも悲惨。主人公が受けたトラウマよりも、土の中の和尚さんがどれだけ苦しんだかを想像するほうが恐いです。村の大人たちは、和尚さんが死んだのを確認するのが恐くて、「鈴が鳴ってるからまだ生きてる」ってごまかし続けたんだろうなぁ。これもまた恐ろしい話。


「同窓会」
毎年必ず行われる、小学校の同窓会。その理由は…。主人公の男の回想シーンを読みながら、「うわやめろ、やめてくれ頼むお願いだ」と叫びそうになりました。主人公を含む小学生たち、残酷過ぎます。死んだ子供の親からすれば、一生どころか来世も背負って欲しいくらいの業です。湊かなえ作品だったら、死んだ子の母親が復讐に乗り出してきますよ。彼らがやったこと、やってしまったことに対して、暗闇が恐いとか毎年顔を突き合わせなくてはいけないとかなんて、大したことじゃないと思います。


「闇の梯子」
駅から離れた平屋建ての家に引っ越してきた夫婦。しかし越してきてまもなく、妻の様子がおかしくなり…。最後まで読むと、もう一度最初から読み返したくなる話。でも多分、作者にはそういうトリッキーな意図はないんだろうなぁ。請われていく妻に怯え、追いつめられていく男に共感して読んでいたら、最後に痛い目にあいました。片方の話だけ聞いて、わかったつもりでいてはいけませんなぁ。特に夫婦の問題は。この旦那はこうなる前、もっと早い時期にもげておくべきでした。


「道理」
妻とケンカした男が、元恋人と再会して盛り上がり、よりを戻しそうになる。しかしその後…。8編の短編に出てくる中で一番もげてしまえと思うのが、この「道理」の主人公の男。「闇の梯子」のほうがやってることはひどいんだけど、この話の主人公のお調子者ぶりがリアルすぎてむかつくったらありゃしないので。幽霊が出てくるとかあからさまなホラー描写はないのですが、読んでるうちに“日常に潜む恐怖”がじわじわと伝わってきて怖かったです。舞台が現代なので状況が想像しやすいこともあって読みやすかったのもあります。話のテンポもよくて、このまま「世にも奇妙な物語」の脚本にできるんじゃないかと思うくらい。

しかしこの話の主人公はザマアミロな結末を迎えていますが、こういう人は実際にいそうですね。そしてなんの咎も受けずにのうのうと暮らしている、と。


「前世」
母親に連れられて、前世が見える占い師のもとに行った少女は、そこで不思議な光景を夢に見る。長じて彼女は嫁ぎ、子を産むが…。この話は女性が主人公ですが、この主人公の夫には全力でもげていただきたいと心から思いました。凶作続きで食べるものがないというのにやることはやって、生まれたら生まれたで口減らしの面倒を母親に押し付ける。桐野夏生だったら主人公が包丁ふりかざして“こんな男の×××は根元からえぐりとってしまえ!”と叫びそうですが、角田光代の場合は子供が母親を許してしまいます。自分を殺そうとしているというのに。そこにあるのは母と子の絆のみ。子がこの世に生を受けるためには、父親の存在も不可欠だというのに、そこに男はいません。自分には関係ないことだと、どこか遠くに逃げてしまっています。男は、女が子どもを殺して帰ってきたら、また女を抱くのでしょう。そして同じことを繰り返させる。

この話を読み終えたとき、少子化問題で女性ばかりが責められるのと無関係とは思えないやるせなさを感じました。ほんとに、どうしてこう…。


「わたしとわたしではない女」
生まれなかった双子の妹の姿が見える女の話。主人公は生きているのか、それとも死んで幽霊になっているのか。死んだとしたらどのタイミングなのか。読み終えてからいろいろ考えましたが、わかりませんでした。主人公視点で語られる過去の話(昔のこととはいえ、これも夫がひどい)はわりとはっきりしているのに、ひ孫がうまれるほど歳を取った現在の話が曖昧でとぎれとぎれなのが生々しく感じました。私もいつかこうなるのかなぁ。ひ孫どころか子供すらいないけど。


「かなたの子」
“生まれる前に死んだ子供に名前をつけてはいけない”と言われた女は、死産した子供に名前をつけ、こっそり墓参りをしては名前を呼びかけていた。そして再び彼女は子を宿すが…。物語の最後、“いろいろあったけど無事に子供が生まれましたー”で終わると思っていたのにまさかの展開で、あの「八日目の蝉」と同じ人が書いた話?と疑ってしまいました。「八日目の蝉」を読んだり映画を見たりして、母性礼賛してた人にぜひ読んでほしい一編です。

他の話にもありましたが、「女性は“子供を産んで母親になる”ことで自らも子供に還る」っていうのは、この短編集のテーマのようです。子供が生まれたら、女性は自分がこの世に生まれてきたときのことを思い出すんでしょうか。私には経験がないのでわかりませんが。でもそれなら男性は?

「巡る」
パワースポット巡りに参加した女性。登山の途中で倒れた彼女は、自分がなぜこのツアーに参加したのか思い出せず…。薄い靄がかかった記憶を、主人公が少しずつ取り戻していく過程がとても怖かったです。それと同時に、彼女をここまで追いつめた周囲の冷たさに腹も立ちました。でも同じツアーの参加者たちが、言ってることがそれぞれで違っていたり、素性が怪しげだったのが、不気味だけどどこかコミカルで面白くもありました。

作中にはっきり書かれてはいないけれど、おそらく主人公は自分の娘に対して非常に罪深いことをしてしまったのでしょう。そんな彼女を糾弾して罰せず、いつか罪は許され、また過ちを繰り返すかもしれないけれど再び誰かに出会う運命を与えたのは、作者の角田さんの優しさなのか、それとも厳しさなのか。

パンドラの箱には希望が残っていた。私たちはそれに生かされている。たとえ、この先どんな災いに遭うことになっても。希望がなければ、この世は憎しみと悲しみと苦しみしかないから。

希望に振り回され、更に深い傷を負うことになっても。それでも。


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