日暮しトンボは日々MUSOUする

黄昏時に生まれる決意と野望の卵


前回お世話になった少年キングのその作家は、仮にS先生とする。 S先生に言われた通りに、僕は3日後の夕方に下落合にある仕事場に向かった。 仕事場と言っても先生の住居兼仕事場なので、先生はすでに昨日から仕事を進めている。チーフアシスタントの(と言っても一人しかいないが)トキタさんもすでにスタンバイしていて、前回のゲラを見て出来具合を確認している。 ゲラというのはゲラ刷りのことで、刷り上がった雑誌の自分たちの描いたページだけ抜き出して担当編集の人が持ってきてくれるのである。トキタさんは僕の分のゲラを渡してくれた。まぁ、僕は仕上げしかやってないから確認しても仕方ないんだけどね。 S先生は人物のペン入れ以外にも、簡単な背景なら自分でも描く。その他の背景はトキタさんが全部描く。 私は前回に引き続き、仕上げと雑用(夜食の買い物とか)である。 横でトキタさんの仕事ぶりを見ていると、彼は実に手際が悪い。 何も考えず、行き当たりばったりで線を引くので、描いては消し、描いては消しの繰り返しだ。それでは作画時間のロスが多い。 彼は立体的に描く技法の基本である一点透視法を知らないのだ。 だから先生の描いた人物と背景が微妙にズレていて宙に浮いた感じになる。 僕は横で見ていて、何度も言いたくなったけど、まぁ、新人だし、余り出しゃばらないでおこうと思った。 2回目も難なく原稿が上がった。S先生は「いやぁ、君は仕事が早いねぇ…助かったよ。ひょっとして経験あんの?」と聞かれたので、僕は「ええ…まぁちょっと、漫研とか同人誌とかも少しやってたし、デザイン専門学校も行ってました」と、控えめに言った。 じゃあ作品も描いてるんだ。今度見せてよ」と、先生は言ってくれたけども、あいにく僕は漫画家になる気はなかったので、当然、人に見せるような完成した漫画原稿はない。「え?じゃ何、君は漫画家になる気がないのにアシスタントに応募したの?」と、先生もトキタさんも驚いた。 そして、「スゲ〜〜〜そんなヤツ初めて見た。」と、二人に大笑いされた。 僕は、そうなんですよ〜と、一緒に笑ったが、心の中で「え?仕事だけで来る人っていないんだ…」と、急に自分が今ここにいること自体が場違いなんだと言うことを感じた。
S先生の仕事は4回くらい参加したあたりで、先生の連載は終わった。 人気が無いと連載は終わる。これは当然である。 今までもヒット作は出なかったので、多分次の連載は無いだろうな…  と、トキタさんは言っていた。 そうか、アシスタントである以上、先生の仕事がなくなれば当然アシたちの仕事も無くなるわけだ。 人気のある漫画家なら、よその雑誌に取られたくないから、すぐに次の連載に向けて打ち合わせが始まるのだけど、S先生の場合、その打ち合わせがない。 先生、今度打ち上げやろう!って明るく言ってたけども、今回の連載で人気取れなかったら干されるってわかってたみたいだから、今頃きっと激しく落ち込んでるだろうな…    先生、多分もう漫画家やめると思う…  そう言うトキタさんも、落ち込みを隠しきれない。 トキタさんはこれから帰って、今描いてる持ち込み用の原稿を完成させよう!と、気合を入れた。 そんじゃまたどこかで!と言って、手を振ってトキタさんは駅の方に走って行った。
漫画家って厳しいな〜 と、思いながらトキタさんとは反対方向の駅に歩いている僕は、呑気に人の感傷に浸っている場合じゃ無いと気がついた。 自分も仕事がなくなることの現実がジワジワ実感してきた。  さてどうしよう…

その日の帰りの電車の中で、トキタさんのやる気を見てたら、自分も持ち込み用のちゃんとした漫画を描いてみようかな…という考えがモヤッとうまれた。 夕日の翳り陽が車内を朱に染めるのをボ〜〜っと見ながら、さっき生まれた野望の卵が少しづつ孵化に向かって育ち始めていることに、僕はまだ気がついていなかった。 




池袋の街の風景 

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