日暮しトンボは日々MUSOUする

ひとつの時代が終わる時



私はなんとか作品を一本描いたが、どうもつまらない。 自分で読んでもつまらないのだから本気でつまらないのだ。 同人誌は遊びで描いても自分のお金で出版するのだから、つまらなくても誰にも文句は言われない。 自己満足の世界だから、己が良ければそれで良いのだ。 だが、漫画で飯を食って行こうとなるとそうはいかない。 編集部で働いている人の生活と会社の存続にも関わる事だから、真剣にヒットするような作品を考えて描かなければならない。 とりあえず絵の方はなんとかなるが、問題は魅力あるストーリー作りである。 漫画なんて、今までたまにしか読んだこともなかったが、この時だけは参考になりそうな漫画を片っ端から読んだ。 当時、爆発的人気だったのが、デビューして間もない高橋留美子の「うる星やつら」があったのでSFおもちゃ箱のようなスラップスティックなノリをすぐに取り入れた。それと昔から好きだった吾妻ひでお(最近亡くなられた)の不条理さと、話作りの面では星新一のショートショート作品集も参考にして、全部の要素を混ぜた6ページくらいの短編SFショート漫画をたくさん描いて修行していた。 その頃の少年キングは発行部数に伸び悩んでいた。 当時のキングを支えていたのは、貧乏でブサイクな少年が、ロシア風の美女にたぶらかされて蒸気機関車に乗って宇宙を旅をするという、墨汁をたくさん消費するSF漫画だけだったが、M本0時先生のこの作品が大ヒットし、TVアニメや映画にもなったが、それだけで低迷したキングを支えるのは少々厳しかった。 その巨匠のM本0時先生は多忙な故に、よく原稿が間に合わなくて新人のダイゲン(代理の原稿)が代わりに載っている事がある。 ショート漫画のストックがたくさんある僕に頼めば1日で用意できるので、編集者がよく私のところにダイゲンを頼みに来た。 その宇宙を走る機関車の漫画の連載とTVアニメが終わった年(1981年)の翌年(1982年)に少年キングは休刊した。 週刊少年誌ブームの真っ只中において、不動の5大少年誌と言われた一角が崩れたのだ。当時はテレビのマスコミにも大きく取り上げられ、漫画界でも大変ショックな歴史的事件となった。 僕は焦って、担当の編集者に電話したが誰も出ないし、誰も捕まらない。 最も、その頃の編集室はてんやわんやでそれどころではなかったようだ。せっかくキングに持ち込もうとして頑張って描いたのに、物凄いショックを受けて、出来上がった原稿をただじっと見つめてたのを今でも覚えている。 その後少年キングは「少年KING」として復刊したが、主力の漫画が、湘南を爆走しながら編み物をするという設定のどこに魅力があるのか分からない作品や、人気同人誌から作品ごと引っ張ってきた、超人ジャズとかブルースとかぬかす、週刊連載に不向きな分かりづらいSF漫画などで誌面を固めたが、そんなんで部数が伸びるわけもなく、 「ブラックジャック」「ドカベン」「ガキデカ」等のヒットで弟分の少年チャンピオンにまで発行部数を抜かれてついに最下位に。 そして1988年にとうとう廃刊になった。 その翌年の1989年に、少年キングが輝いていた昭和の時代が終わりを告げた。
 
のちにKINGはウェブ配信漫画方式に切り替わった。





当時はこんな感じのペンタッチで描いていた。 同人誌時代の延長上みたいな漫画である。

後に江口寿史とか鴨川つばめ等のちょっとお洒落なギャグ漫画の作風に徐々に寄せていく。
絵柄も洗礼されて、プロっぽくなってきた頃。


原宿の会社に勤めていた経験を生かし、原宿の竹下通りと表参道を舞台にしたギャグ漫画。 4ページだけ残ってた。


ここだけの話。 バイクに乗った野生の7人組の漫画で有名な❌❌先生の原稿は、あまりにも汚くて編集者でも触りたくないのだそうだ。 ネーム貼りの時は手袋したいって言ってました。 うんこでもついてんのかね? 
この話、くれぐれも拡散しないように。 あの話って〇〇先生のことですよね…って聞かれても絶対YESとは言いませんから、 そこんとこヨロシコ。 





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