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日暮しトンボは日々MUSOUする

同人誌の理想的な姿とは?


●同人誌サークルの理想的な姿

かくして漫画家にもう一つの流れが生まれた。 それが同人誌作家である。
コミケで自由気ままに作り続けてきた作家が、はたして厳しい雑誌社の量産体制でやっていく事が出来るのであろうか? 週刊あるいは月刊ペースの仕事量というのは、尋常なものではない。 人気作家となると 毎週、20〜25Pの枚数をこなす。 月刊なら30〜40P前後、作家によっては60P近く描く人もいる。 ギリギリの日数で拘束されるわけだから遊ぶ暇なんかもちろんない。 いわゆる彼らがもっとも嫌がるサラリーマンなみのストレスと不自由さを感じるであろう。 そんな彼らに、前々回述べたような作家の作品意図を壊すような要求を編集側がした場合。 作家はその要求をきっぱりと断り、コミケに戻ってしまうのではないだろうか。無理して量産体制で描かなくても、コミケで十分やっていけるから楽しく描いてお金が儲かるといった遊び場を手放すはずがない。 私はそう思っていた・・・・ ところがである。 
そんな心配は、嫌なものは拒否するだけの、私達の世代だけで、小さい時から漫画に慣れ親しみ、コミケを意識してきた彼らは違っていた。 コミケによって漫画界と共存する、驚くべき才能が育っていたのである。

これは、友人の所属するサークルでの話。
忙しくて次のコミケに間に合いそうもないので助っ人を探しているのだという。 助っ人とはアシスタントの事である。 たかが同人誌になぜアシスタントまで雇って本を出さなければならないのかと尋ねると、常に新刊を出しておかないとせっかく付いたお得意さん(客)が逃げてしまうからと答える。 その友人のサークルの中心人物は、奥さんも子供もいる妻帯者で、同人誌の収入が家計の一部を支えている。 その仲間も同人誌の収入で生活している。そうなると同人誌制作は単なる趣味ではなく、立派な生活手段である。 どういうものを作って、どのくらいの部数で、売上がどのくらいとか、おおよその計算がすっかり出来上がっているのだ。 確実に売れることを前提に作らなければならないので、うまいこと購買欲のツボを突く作りになっている。 売られるのは同人誌だけではない。 カレンダーやポストカード、キーホルダーにテレカまでなんでも作って売る。 そんな状況に身を投じている若者達は、いつのまにか作って売ると言う事の醍醐味を身体と感覚で覚えていく。 それに比べ、私達の同人誌世代は、彼らのように締め切りを守る者なんていないに等しかった。 商業ベースに反骨して生まれたものだから、締め切りなんて クソ食らえ! である。 なかなか原稿が揃わないから、いつまでたっても本が出ない。 人の作った規制の枠を取り除いただけで、自らの手による、新たなる枠を作らなかった私達は、徐々に作り続けることの苦痛さを味わう事となり、自分達の意志で “自由に創る” と言って かかげた旗が次第に色あせていく。 反骨精神が、いつしか怠け者の言い訳に変わっていってしまったのである。 それからしてみれば、彼らはうまいこと商業戦略を受け入れ、なおかつ、好きな物を作リ続けていることになる。

これは、ひょっとして私たちが求めた理想的な同人誌の姿ではないのか?
自分に枠をつけることのできる今の同人誌作家(サークル)が、お互いの共存を求め、やがて商業誌とガッチリ手を組む事となる。   


仕事仲間に頼まれて、コミケで売る新刊が間に合いそうもないので、バックナンバーに私のイラストをMDに収めた付録をつけたいという依頼があった。



どさくさに紛れて随分変な絵を入れた記憶がある。😅



●同人誌は漫画界の救世主となるか?

1980年代に同人誌界のトップに君臨する、超巨大サークルがあった。
そこから多くのプロの漫画家が生まれ、自分のサークルからコミック本タイプの会誌まで自費出版していた。 会員の漫画が載ったその会誌は、町の本屋にも並べられる事もあった。 こうなるともう同人誌の枠を飛び越えた漫画製作会社である。 そこへ、ある漫画雑誌が目をつけた。 売上が伸び悩んでいたその雑誌はそのグループと手を組み、起死回生をはかろうとしていたのである。 延命を投じた編集側の策とは? 人気のある主力会員作家のリレー漫画を連載することだった。 それはまるで、人気俳優を一同に集めたお正月映画のように、誌面がゴージャスに光り輝いて見えた。 同人誌に憧れる少年少女たちは、漫画界に新しい時代が来たような期待に膨らみ、胸を躍らせてその雑誌に群がった。 漫画の新しい形が見えたと思った。 ところが、その漫画雑誌は休刊(廃刊)におい込まれた。 何故か? 売れたのは、そのサークルの単行本だけだったからだ。 彼らの目当ての漫画はたった一つで、それを読むために200円(当時の値段)を払って本誌を買う気にはならなかったのである。 編集部側は、せっかく読者の目を引きつけるチャンスを作ったのにその目を他の連載漫画にも向けるよう、誌面全体の向上をはからなければならないのだが、それに失敗したのである。 外から引っ張ってきて、中にポンッと置いただけでは読者はついて来なかった。 これは編集部の大誤算である。 その後、いくつかの雑誌がこれを試みたが、どれもあまり成功した例は無かったように思う。 さて、それから十数年が経ち、商業誌と同人誌のコラボレートは、もう諦めたのかと思っていたら、ある大手出版社が面白い事をやり始めた。 朝の電車通勤に漫画を読むサラリーマンが増えてきた事にターゲットを絞った漫画雑誌の創刊である。 これはいい所に目をつけた。 当然それは雑誌として定着した。 もう一つ、 その雑誌の増刊として、電話帳のように分厚くボリュームたっぷりの月刊誌が出た。これに載ってる漫画はどれも同人誌の匂いがする漫画ばかりで、雑誌自体がそこに重点を置き、商業サイドの手垢のついてない新人作家に誌面を割いていた。 こんなんでやっていけるのか?と心配したくなるくらいである。 それがいいきっかけとなり、大手の漫画雑誌が違うアプローチの姉妹雑誌や増刊号を出し始めた。 単行本だけに目が行かぬように、本誌を買わなければ手に入らない。 人気作家テレカの応募者全員プレゼントなどのプレミア商法を取り入れたり、漫画界全体が危機感を感じ、なんとかしようと本気で模索し始めたのである。 そして今までの漫画雑誌という一つの大きなジャンルが、細かく分類した雑誌形成を築き始めた。 あまりにも個人的に求めるモノが幅広く枝分かれしすぎて、一つの漫画雑誌ではそれらを全て補いきれなくなってきたその事実を雑誌サイドが認めざざるをえなくなってきたのである。
4コマ、アニパロ、投稿イラスト専門、ゲーム漫画、特撮、時代劇など、それぞれ読者の好みに絞った雑誌作りに重点を置き始めたのだ。
そしてついに同人誌世代の漫画家志望の若者にとって夢のような、商業誌と同人誌の共生共存の時代が始まる。


80年代、同人誌から生まれた超能力SF漫画が同人誌界で話題になっていた。 東の「超人ロック」西の「スターシマック」と言われるくらいそのファンは多く、イメージアルバムやアニメ映画にもなった。 そんな若者を魅了するキャラクターのヘアスタイルはと言えば、古くはサイボーグ009やバビル2世を見ればわかるようにみんなファイヤーヘアーである。

やっぱり私も古い昭和のオタクなのでファイヤーヘアーは定番である。

ハンナバーバラのアニメ「Galaxy trio」邦題「銀河トリオ」をジャパニメ風に勝手にリメイク。


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