宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

子供や高齢者は国の宝、且つ障害者等社会的弱者の人権を尊重し守ってこその先進国。年々逆行する現実に抗し当り前の国にしよう!

★カラオケで想う”美空ひばり”の人間性

2009年12月29日 02時16分22秒 | 社会
             【写真=忘我の境地で歌い上げる我がかみさん=熱唱?】



かみさんのホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』 
『カラオケで困った、うたう歌の選曲だけどカラオケ楽し』
           
 先日、仲間内で忘年会(望年会)をやった。
場所は流行りのカラオケ店で、だ。
 メンバーはおらとかみさんを除けば、年齢上は先輩の紳士淑女諸氏で、如何せん育った時代が違うのであって、従って脳内に蓄積されている歌も自ずと違うのは、言うまでも無いだろう。
 しかしそうは言っても全員気心の知れた方たちなので、何の違和感も抱かず座に溶け込むには造作も無かったのじゃ・・・が、問題はその先にあったのだが、かみさんは全くおらと違っていた。
 
          
         
 むずかしい話しなど一切無しの、忘年会の始まりの口火を切ったのは、”大の美空ひばり”ファンを自任するTさんだった。
 上手い!
Tさんは歌い慣れているのだろうか、歌い方も堂々としていて”美空ひばり”さんを彷彿させる。
 とは言っても、おらは生前の”美空ひばり”さんは、あまり好きでは無かった、と言うより嫌いだったから、その歌う姿を良く覚えていないが。

 おらが”美空ひばり”に良い印象を持っていないのは、多分中学生(高校生?)当時に読んだ週刊誌の影響が大きいのだと想う。
当時、週刊誌は競って”美空ひばり”のスキャンダルを追っていた、と記憶している。
 曰く、母娘は双子だとか、ステージママが”ひばり”の全てを握っていて異常だとか、あるいは日本最大の広域暴力団山口組の田岡組長と親しいとか、弟の加藤何某がとか、NHKとの問題など、といった類のものだ。
 おらは週刊誌に物の見事に洗脳され、”ひばり”嫌いが始まったのだし、当時全盛だったテレビの歌番組から、彼女の歌が流れて来ても耳を塞いでいた。

 おらが”美空ひばり”を意識しだしたのは、元気で働いていた頃に現場の女工さんから、BGMに”美空ひばり”の『川の流れのように』をリクエストされてからだった。
 おらはその歌声を聞きながら、”美空ひばり”その人を知らなかった事を、いや知ろうとしなかった事を、う~ん、どう言ったら良いのだろう、悔やんだ、いや恥じた・・・?
ともかく妙な感覚に陥った。

 その後、”美空ひばり”の、あるエピソードを聞いて驚いた。
1974年の『第1回広島平和音楽祭』に出演した際に、旧広島県立体育館には冷房のある控え室がなく、氷柱一本だけで涼を取るような状況だった為、主催の広島テレビのスタッフが冷房のある部屋へひばりを案内しようとしたら、ひばりは「あの時、広島の人たちは、(今日の私たちより)もっと熱かったのでしょうね」と、原爆投下直後の広島を想うように語ったという。
 ”美空ひばり”のその言葉を聞いた関係者は慄然とし、彼女の平和への思いの強さを感じたという。(出典=Wikipedia)
                                                    
 
  ”美空ひばり”が1974年の『第1回広島平和音楽祭』に出演して歌った『一本の鉛筆』が、『平和の祈り』であった事をおらが知ったのは、彼女が亡くなってから10年後くらいの頃である。
 どのテレビ局かは忘れたが、偶然観ていてそのエピソードを知ったのである。
それからのおらは、隠れ”ひばり”ファンになったのである(別に隠す必要は無いが)。

 ちなみに今年は”ひばり”没後20年であり、生きていれば72歳になるのだから、52歳という没年はあまりに早過ぎたと云う事だろう。
 ついでに書けば、彼女は小柄(身長150㎝)だったそうだが、舞台でもテレビでも大きく見えたそうであるが、その存在感がそうさせていたのだろうな、きっと。
 ちなみ序でに書けば、1974年8月9日(長崎原爆投下日)に、広島テレビの主催で始まった『広島平和音楽祭』は、その後毎年8月に開催され1993年の第20回で打ち切りになったそうである。
 おらはもちろん観たり聴いたりした事は無いが、残念な想いがおらにあるのは何故だろう・・・自分でも解らない。
                 【熱唱中のかみさん】

 さて本題に戻りましょうか。
先程Tさんと”美空ひばり”は書いたが、他の人たちも皆素晴らしい歌声だった。
なるほど、カラオケ店に行ってみれば、老若男女問わずお客さんが多いのだから、現代日本の憂さ晴らしの場所は、場末の酒場は完全にその座を奪われたのかも、な。
 Tさん・Eさん・Kさん・Oさん・Rさん・Sさんと、おら以外は場慣れしていように見えた。
おらなど、まるでお話しにならない。
 そもそも他の人の歌っているのを聴いていると、おらでも簡単に歌えそうなものなのに、いざおらの番になるとおらが歌う歌が無いのだ。
と言うより、その場に合う歌がおらには無いのである。

 つるつる坊主の初老のおっさんが、”ザ・タイガース”の『花の首飾り』を歌ったらドッチラケ間違いないもんな。
なんせおらの好きな歌は、あちらの国の”ブラザーズフォー”だの”PPM”だの”サイモン&ガーファンクル”だのとか、”岡林信康”だの”赤い風船”だの”かぐや姫”だの”ザ・タイガース”だのと、皆さんの趣向とまるで合いまへんのじゃ。

 てな訳で、おらはニコニコ笑って他の人の歌を聴いているようだが、内心玉の汗なのである。
で、おらが結局歌ったのは、おらが小学校の卒業間際の『謝恩会』で歌った、新川二郎の『東京の灯よいつまでも』であった。

 ふっ(笑)
これを書いていて、我ながら良く『小学校の謝恩会』が思い浮かんだと「自分で自分を褒めてやる」である。

 

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1 コメント

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おらもひばり大フアン (アンネのバラ)
2009-12-30 08:37:54
私のブログにコメントありがとうございます。

私は美空ひばりは大好きでした。
ひばりの映画もいっぱい観たし、歌もどれもこれも好きでした。何で若くして死んでしまったのかと悔しい思いです。
1本の鉛筆は、ちょっとリズムが難しいので歌いこなせてませんが、何かの折に歌ってみたいと思っています。

ricchanのお母さん心配ですね。

ニックネームをクリックしてもricchanの顔写真のあるページに記事がありませんと書いてあるだけです。地区からわたしのところにchuさんのブログの
アドレスをメールで送信しておいたので、貼り付けてここにたどり着きました。
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