宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

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★おらの住む小集落に、政権与党の民主党衆議院議員がやってきた!

2010年05月09日 03時00分27秒 | 政治
【4月25日『基地いらない』沖縄県民9万人大会参加者を励ます共産党志位委員長】

かみさんのホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』

おらが見て訊いた安住議員の言葉の数々とその表情
 おらが住む、急速に人口減少と高齢化が進む宮城県女川町の小さな集落に、衆議院安全保障委員長を務める、与党民主党の安住 淳議員がやってきた。
初夏を思わせる暖かな5月8日の午後1時、秘書2人を連れ、彼はおら達の集会場にやってきた。

 何の義理もないが、彼を大まかに紹介しておこう。
テレビ朝日(宮城では東日本放送)の『たけしのTVタックル』に数多く出演し、その知名度は既に全国区と言っていいのかも知れない(おらの推測にしか過ぎないのじゃから、絶対視せぬが良かろうと想っちょる)。

 彼は1962年に、旧・牡鹿郡牡鹿町(現・石巻市)で生まれ、政治家を多く輩出している早稲田大学を卒業後NHKに入り記者をしていたが衆議院議員を志し、2回目の出馬となった1996年の総選挙で、当時の”さきがけ”から当選したのじゃが、それはおらの記憶が正しければの話しじゃよ、念のため・・・。

 2005年の小泉郵政解散時には、全国的にも数少ない小選挙区での民主党の生き残り組であり、これは想像するに彼の誇りであろう。
この時の宮城県では、6区ある小選挙区の中で、宿敵の自民党候補者を破って唯一議席を死守した民主党議員なのである。
 連続当選回数5回であり、まだ歳は若いが政治経歴は豊富で、党内では中堅を超えて次代を担う実力者の一人と目されている(らしい)。

 そしてその話術は中身はともかくとして、地方政治家のはしくれである我がかみさんも、学ぶ点が多かったようである。

【かみさんの質問に、かみさんを見ながら答える安住 淳 議員】

 定刻1時に始まった『国政座談会』で、彼はのっけから鳩山総理の普天間を中心とする基地移転迷走問題を批判し、返す刀で小沢一郎幹事長の政治資金問題を批判して、おら達を驚かせた。
 これは巧妙な話しの入り方であった。
おら達の疑問や批判に答える時の苦しい弁明をしないで済むよう機先を制したものであり、事実ことさらに時間の限られた座談会の中では、おらでさえ、この問題を持ち出す機会を失ってしまったのである。

【4月25日の『基地反対沖縄県民9万人大会』=写真・しんぶん赤旗】

 しかしチャンスは巡って来たのであるが、議論は深まらなかった。
彼曰く「鳩山総理は人が好いから八方美人になり、迷走している」
おらはすかさず質問「衆議院安全保障委員長として、沖縄問題で鳩山さんに意見したり苦言を呈する事はないのか?」
「私が言うと、はい分かりましたというが、次の日に別な人から言われるとコロッと変わってしまうので、私は驚く事が多い」

 おら「小沢さんとは仲が良くないと報じられているが、本当ですか?」
曰く「小沢さんは田中派(自民党時代)のやり方で、年齢も68歳であり、自分の残された時間は少ないと思っていて頑固であり、自分の意見を聞かない人間を切り捨てる。私は”さきがけ”出身だから、最初から合わない」(肌が合わない、手法が合わないの意とおらは理解した)。

 安住議員が時間を多く使ったのは、国の財政問題だった。
「ギリシャはたかだか33兆円で大変な事になっている。日本は地方も合わせると1000兆円にもなるが、解決するには消費税をあげるしかない。1%で2兆6千億円だから、仮に10%にすれば財政状況もかなり良くなるし、将来更に5%程度上げる必要性があるかも知れない」と、かなり露骨な話しを、さも大した事ではないかのように、さらりと言った。
 
 かみさん「ただでさえ庶民は苦しい暮らしを強いられていて、年金も削られこれ以上の負担は国民が耐えられないし許さないと思う。現行の消費税でも食料品とか生活必需品を非課税にできないのですか?」
「食品を非課税にすると言っても難しい問題だ。例えば食品会社が非課税で普通の会社が課税される事態になれば、著しく公平性を欠く事になる。議員さん(かみさんの事)も、与党になれば苦しさが解かりますよ」だと!
 詭弁を弄していると思うのだが、別の参加者から違う話題が出て、議論は尻切れトンボになっちまった。

それにしても、かみさんが町会議員だと言う事を知っていたのには驚いたが、事前に集落の彼の支持者が教えていたのじゃろうか?

【おらの質問に言葉を選びながら答える】


 安住議員「ギリシャのようにならないためには、先ほどの話しの他に人口を増やして経済を発展させるしかない。そのために子供が働ける年齢になるまでに国が、子育て支援として子供手当などを給付する。石巻市の、ある某大企業に18歳から60歳まで勤めると、7000万円の税金を納める計算になる。子供一人を18歳まで育てるのにかかる費用は500万円くらいと言われているので、費用対効果は、この数字をみれば明らかでしょう」

 おらは、現金バラマキ政策に疑問がある故、「子供を産み育て人口増に結びつけるには、例えばフランスのように、女性が社会に出て働ける環境整備が重要で、既婚独身に関わらず、3人産めば安心して子供を育てられる制度の方がより重要では?」
等、いろいろな話しを出したが、おらとはあまり議論はかみ合わず、けれどもある程度言葉を選びながら話していたので、彼の話しを了とする人が多くいたのは事実である。
もっとも彼の支持者が多いと思われるので、それも当り前か?

【最後に笑顔で参加者と握手をする安住議員。彼の掌は柔らかく暖かかった】

 最後のつもりで安住議員が言ったのは「ここ女川町だけが、勝てなかったので宜しくお願いします」=訳すれば「宮城5区で対立候補に得票で負けたのは、女川町だけだった」である。

 で、おらは最後に訊いた。
「TVタックルで観るより人間性が良く理解できましたが、5期連続で自民党候補者を、時には僅差もありましたが、ともかく破って来た勝因とか要素は、何だったとご自分では理解しているのですか?」

 安住 淳 議員はこれには、きちんと答えてくれた。
「私はずっと野党として戦ってきました。相手候補は自民党公認で、農協や漁協とか、医師会や建設業など、考えられるあらゆる業者団体の推薦を得て来ました。私にはそれが無かったし出来なかった。そして私に出来る事だったのが、一人ひとりの有権者と触れ合う事を重視する事でした。つまり今日のこのような会合を行って来た事が、大事だったと思っています」。

 参加者全員と握手した安住議員は、おらとかみさんと握手し、出口に向かいながらこう言った。
「これからは応援して下さい」

かみさんは言った。
「私たちが候補者を出さない場合に、民主党が本気で国民のためになる政治をするなら・・・」
このかみさんの声が、安住議員の耳に届いたかは、おらは知らない。

 それでも党派の違う国会議員の話しを聞く事は、決して悪い事ではないな、とおらは思ったのじゃが、いかんせん時間が1時間足らずでは、深い話しにはならないのじゃから、支持者は良いかもしれないが、おらみたいなへそ曲がりには全く物足りなかったのが残念じゃった。

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