かみさんのホームページ『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』
『お引き取り願うしかない民主党政権』
誰が最高責任者なのか、国民に見抜かれた菅政権
今年も早、暮れようとしている。
どなたでも歳を重ねれば、一年一年がそれこそ矢のように過ぎ去るような感覚に、身が包まれるものなのだろうと勝手に想像しているのだが、少なくとも私はそうなのである。
今年も何とも早い一年だったように思えて改めてこの一年を振り返れば、やはり強烈な暑さが連日列島を襲った長い酷暑の夏の記憶が、強く印象に残っている。
そして色々な出来事(事件)があったが、やはり第一番に指摘しなければならないのは、民主党政権及び民主党の異様な出鱈目さが、強く私の将来に対する不安を増長して脳裏の底にへばり付き、しかもそれが今尚、進行中であるのだから、やっかいな代物の何物でもない事である。
民主党が政権奪取に成功した昨年の夏には、民主党支持者でも無い私でも、彼等の発表したマニフェストに書いてあった、『年金・医療 「年金通帳」で消えない年金。 年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します。 後期高齢者医療制度は廃止し、医師の数を1.5倍にします。』には、淡い期待を抱いた記憶があるが、ことごとくそれら等が裏切られた思いが強く、『国民の生活が第一』と言った彼等の詐欺にあったと言うより、私自身の不明を恥じているような思いでいる。
そして特に私を不安に陥れたのは、我が国固有の領土(領海)である尖閣諸島海域での中国漁船による無謀な挑発行為に対する我が国政府の、救いようの無い無為無策のどたばた劇で、結果的に国民に不安を与えたばかりでなく我が国の国際的な信用を著しく失墜させた事件であったと思うが、それは後で書こうと思っている。
しかしその間の菅首相の影は極めて薄く、仙谷官房長官が全て仕切っていたと、誰の目にも明らかであったのは事実である。
しかも第11管区海上保安庁が命懸けで撮影した国民に見せるべきビデオを、したたかな中国の顔色を窺い及び腰になった仙谷長官が、一ヵ月もほったらかしていたにも関わらず、唐突に機密扱いにしたのである。
そして仙谷長官は、野党の追及に「及び腰ではなく、柳腰だ」と詭弁を弄して責任逃れを図ったのであり、その政治姿勢に危機感を抱いたのは独り私だけでは無いと思っている。
それが結局、海上保安官によるビデオ流出に繋がったのだが、責めは己の危機管理判断を誤った仙谷長官が負うべきであると、強く抗議したい。
政権の真の権力者が誰だか不明な内閣は、『仙谷内閣』とメディアに揶揄されたばかりでなく、自党の予算委員長が国民注視の予算委員会で、「仙谷総理大臣」と呼び答弁を求めたのは単なる間違いや笑い話しではなく、内閣の本質を自党の議員諸公もそう認識していた証左である。
そして2年にも渡る小沢一郎・元代表の政治資金にまつわる疑惑が現在も日本の政治に暗い影響を与え続けており、民主党執行部は疑惑解明にあたふたして、『一兵卒』と公言している小澤一郎・元代表にも及び腰の対応に終始した挙句、党内抗争に発展している様相を見せて右往左往する姿は、真にもって視るに堪え難い醜悪さである。
自浄能力の欠如も甚だしく、もはや政党の体を成していないと言わざるを得ないが、そもそも選挙における己の当選目的の寄り合い所帯。
さもありなん、なのだが、そうも言ってはいられない。
彼等は政権党であり、権力者なのだ。
想い返せば昨年8月、麻生太郎を首班とする自公政権が「追い込まれ解散」をせざるを得なくなり、真夏の総選挙の結果、大方の予想通り惨敗してその座を明け渡し、民主党を中心とする政権が誕生したのである。
あれから僅か一年二カ月余にしかならない。
にも関わらず、鳩山政権から菅政権へと短期間に内閣が変わったのである。
しかし、この国を覆う閉塞感の打破を願って、当初の政権交代に賭けた善良な国民の期待は、見事に裏切られたのであり、内閣交代の姑息な手段では、もはや国民の信頼を取り戻すのは至難の技と言える。
鳩山由紀夫代表の顔をでかでかとポスターに載せ、小澤一郎・幹事長体制で「国民の生活が第一」と、バラ色の未来を描いたあのマニフェストは今や誰の目にも、高齢者を狙った悪質な「住宅リフォーム詐欺」と同列、と言っても過言ではないだろう。
そしてその悪質とは言わぬまでも、無責任なマニフェストにある程度期待した多くの有権者が、民主党にそっぽを向いた。
その典型的な証拠として今、民主党内を支持者離れの象徴として≪茨城ショック≫が襲っている。
12月12日投開票の茨城県議選で、推薦も含めて24人を擁立したものの、たったの6名の当選に終わり、地方議員を中心に「来年の統一地方選挙は絶望的だ」との声が、いっせいに上がり始めているという。
そして、その立候補予定者たちの間に、公認返上や党名隠しが広がっているというから、何をか況やである。
しかし浮足立つ彼等としては、背に腹は変えられない当然の反応なのだろう。
鳩山政権から菅政権に移ってからの同党の選挙結果は目を覆うばかりで、連戦連敗である。
参議院選での惨敗に始まり、9月の沖縄県名護市長選、10月の衆議院・北海道5区補選、千葉県松戸市議選、そして今回の茨城県議選と、闘えば闘うほど傷が深くなっている。
そして何より、多くの国民が注目した沖縄県の大型選挙があった。
参議院選の選挙区に続いて11月の知事選にも候補者さえ擁立できず、政権政党として前代未聞の「不戦敗」なる不名誉な栄に浴したのである。
同党のある議員が、次のように言って嘆いているという。
「この政権は、すでに自民党時代の小泉・安部亜流政権となっている。仙谷良人官房長官・前原誠司外相らによる対米従属の右翼的外交、そのもとで内政でも『国民の生活が第一』なんてところは出てこない。菅首相はただ権力にすがりつきたいだけで何もない人。そう国民から見透かされてしまった」と。
2009年真夏の総選挙。民主党マニフェストの虚構
ところで彼等が昨年の総選挙で描いたマニフェストを、ついでだから今一度読み返してみる事にするので、お付き合い願う。
以下に青字で書くが、全部ここに書いたら阿保らしくなるので、極く一部にする。(原文のまま)
民主党の政権政策Manifesto2009
◆【ひとつひとつ一つひとつ大切にする。他人の幸せを自分の幸せと感じられる社会。それが、私の目指す友愛社会です。 税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが、民主党の政権交代です。 命を大事にすることも、ムダづかいをなくすことも、当たり前のことかもしれません。 しかし、その「当たり前」が、壊れてしまっているのです。 母子家庭で、修学旅行にも高校にも行けない子どもたちがいる。病気になっても、病院に行けないお年寄りがいる。 全国で毎日、自らの命を絶つ方が100人以上もいる。 この現実を放置して、コンクリートの建物には巨額の税金を注ぎ込む。 一体、この国のどこに政治があるのでしょうか。】
◆【変わるのは、あなたの生活です。 民主党の5つの約束
1)ムダづかい 国の総予算207兆円を全面組み替え。 税金のムダづかいと天下りを根絶します。 議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。
2)子育て・教育 中学卒業まで、1人当たり年31万2000円の「子ども手当」を支給します。 高校は実質無償化し、大学は奨学金を大幅に拡充します。
3)年金・医療 「年金通帳」で消えない年金。 年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します。 後期高齢者医療制度は廃止し、医師の数を1.5倍にします。
4)地域主権 「地域主権」を確立し、第一歩として、地方の自主財源を大幅に増やします。 農業の戸別所得補償制度を創設。 高速道路の無料化、郵政事業の抜本見直しで地域を元気にします。
5)雇用・経済 中小企業の法人税率を11%に引き下げます。 月額10万円の手当つき職業訓練制度により、求職者を支援します。 地球温暖化対策を強力に推進し、新産業を育てます。】
自民党・公明党連立政権の悪政
全く噴飯ものである。
私は自公政権を批判した来た人間だが、これほどまでの失望感は味わった事がない。
10年以上続いた自公政権は、川上(大企業”財界”など)が豊かになれば川下(中小零細企業や庶民)にお金が流れる式の黴の生えた理論で『構造改革』や『規制緩和』、『市場原理主義』や『新自由主義』を強引に推し進めた。
そして『雇用の自由化』の強行で大企業の収益を膨大に増加させ、その一方で非正規雇用者やアルバイターの急激な増加で無権利状態の労働者が大量に生みだされ、その結果『ワーキングプア』なる言葉が生まれるほど、懸命に働いても無権利状態のため貧困から抜け出せない人々を大量に生み出した。
更に『後期高齢者医療制度』で高齢者に医療費を負担させ、医療費出費の痛みを感じさせる事で医療費を抑制し、戦後の日本を支えてきた高齢者を『現代の姥捨て山』制度で括った。
『消えた年金』では、お役人の堕落の監視を怠った政府の責任は大きいのに、『自己責任』なる言葉で、問題解決には被害者である個人が立証しなければならないなど、数々の悪政を次々に実行して、『憲法で保障された基本的人権や生存権』に挑戦する『格差社会』生み出して、地域や地方の社会を疲弊・崩壊させた。
公明党=創価学会の恐るべき正体と大マスコミ
その間、特に、弱者を救い平和を追求する政党を標榜して来たが、その実、池田大作・創価学会名誉会長を守る事だけが目的の『公明党』の果たした加担責任は、極めて大きく許されないが、今の民主党にも秋波を送っているようだが、その妖怪的と言えばいいのか鵺的といえばいいのか、ともかく権力側に付こうとするその体質は、極めて危険だ。
蛇足だが、知っている人は知っているだろうが、公明党=創価学会は、竹入義勝・元公明党委員長を、自身の回顧録で「公明党は創価学会に支配されている」と書いた事で、創価学会=公明党から凄まじい攻撃を受けている。
また同じく公明党委員長を務めた矢野洵也氏は政治評論家として活躍していたが、彼もまた、創価学会をフランス政府が『カルト集団』と認定している事を公表したとして、創価学会=公明党から凄まじい攻撃を受けていて、自身はおろか家族の命も危ういとして、創価学会と係争中である。
要はお二人とも、公明党の指導者だったが、池田大作・創価学会名誉会長から見たらちっぽけな存在であり、池田大作の逆鱗に触れたら命も危ないとしていう事。
北朝鮮と何等変わらない恐怖政治がまかり通っている、創価学会=公明党がとんでもない組織である事の、何よりの証拠である。
そして大手のマスコミは、これらの事実を絶対書かないのである。
普段は報道の自由だの、国民の知る権利だのと言ってはいるが、池田大作から金を貰って口止めされているのか怖れているのか知らないが、マスコミにとって『鶴タブー』があって、その名称は創価学会がかつて講として属していた日蓮正宗の紋が鶴であることに由来しているが、いずれにしても創価学会の批判イコール池田大作の批判的記事を書いたら、凄まじい攻撃があるからだと言われている。
だらしないマスコミである。
それを怖れず書いているのは、一部の週刊誌と『しんぶん赤旗』だけである。
さて本来のテーマに戻る。
自公政権下でマスコミの果たした役割も、極めて重く大きい。
さも『社会の木鐸』然として、権力側の政策を検証もせす無批判に無責任に報道し続けた。
あげくの果てに『小選挙区導入や2大政党性』の負の部分を意図的に隠して『エセ改革報道』を垂れ流し続け、T評論家に代表される特定の御用評論家や御用学者を中立を装って大量に出演させ、不特定多数の視聴者の世論をミスリードした責任もあるはずであり、それを想えば「BPO=放送倫理・番組向上機構」で取り上げられないよう、十分な裏を取るなどの検証を怠ってはならないと思う。
さて、冒頭にも中国関連で少し書いたが、問題解決能力欠如政権・民主党の、外交に目を転じて見よう。
沖縄普天間の米軍基地移設問題で迷走し、耳を傾けるべきは「沖縄の魂の叫び」であるのに、自民党以上のアメリカへの忠犬ぶりである。
そして、国際法上も明確な我が国の領土である尖閣諸島なのに、したたかな中国に怯えおたおたしてきちんと物も言えず、それを見透かしたような北方領土へのロシアのメドベージェフ大統領訪問に、なす術なく指を咥えて見ているしかなく、日本領である竹島に韓国が軍隊を送り実効支配を着々と進めているのに、何のアクションも起こせない内閣を、私たちは何と呼べば良いのだろう。
取り敢えず『売国対米隷属(従属ではない)内閣』とでも名付けようか。
そして、それを裏付けるようにここに来て唐突に「TPP参加」を言い出し、アメリカの忠犬ぶりを発揮したその計画に、国内各自治体議会から猛反対の決議が数多く出されている。
ちょうど参院選直前に消費税増税を言い出した時と同じで、何事も十分な検証をした形跡のない場当たり的で無責任な内閣だと、言わざるを得ないのである。
この一文を読んでいる奇特な方は、それぞれ民主党を凝視し点検して下され。
全く話しにならないと、私は思っている。
私のような”ごまめ”でも無責任になら、民主党のマニフェスト位の事は言えるのである。
現在、日が経つほど同党と内閣の支持率が、どのマスメディアの世論調査でも急降下している。
大多数の国民が、民主党の本質を見抜いているのである。
民主党とその政権が、何故そんな事になるのか。
それは、思想・信条の全く違う連中が、ただただ己が選挙で当選したいがために野合しているだけの政党であるからだ。
その何よりの証拠が、政党の羅針盤とも言うべき『党綱領』を持っていない事である。
『党綱領』とは、自らの政党が何を理念とし何をどのようにして目指すかを書いた、云わば政党の心臓であり頭脳なのである。
従ってそれの無い彼等は、一貫した政策など出て来る筈も無く、また出来ないのである。
当然の帰結として、多くが場当たり的になるのが宿命とも言える。
しかし、そんな民主党をまだ信じて支持する人がいるのが、私には信じられない。
日本の将来に展望はあるか
とは言え、彼等は現実の政権党である。
だからこそ一刻も早い、退陣を願うしかない。
何故、願うしか無いのかと言えば、衆議院の解散権は菅直人首相が握っているからである。
だからと言って「来年度の予算と引き換えに」などと、花を持たせる退陣論などの悠長な事を言ってはいられない。
国民世論で、彼等を追い詰めるしかないのである。
仮に多少の政治空白が出来ても、国民は「より良い政府になる」のを、短期間なら我慢できるであろう。
私はそう思うが、如何であろうか。
それにしても憂鬱なままの気分で年を越さねばならないのが、何とも恨めしいし悔しい。