原点

2015-10-14 21:43:11 | プロローグ
政治なんて嫌いだ!
なんで政治家なんかになったのか!?

こんなことを聞かれることが、しばしばあります。
そんな時、私は冷静でいられます。
なぜなら、かくいう私も数年前までは政治が大っ嫌いだったからです。

テレビから流れてくる国会中継...
平気で公約を破る。国民の大多数の意見に耳を傾けようとしない。そして、あたかも国民を支配しているかのような偉そうな発言。こういった様子が、私の目にはまるで茶番劇のように映りました。
政治は自分とは無関係。そんな風に思って、ずっと生きてきたんです。
そんな私が、どうして政治の世界に飛び込んだのか、ぜひ聴いていただきたいと思います。
少々長くなりますが、お付き合いいただけたら幸いです。


高崎市と私

高崎市に隣接する前橋市大利根町で生まれ育った私は、学習塾や予備校などで高崎市内に通っていた時期がありました。
そんな身近な高崎が、大手電機メーカー高崎事業所での勤務をきっかけに生活の拠点になります。大手電機メーカーでは、派遣労働者として9年あまり働きました。新設部署の立ち上げや正社員の教育、海外子会社の研修、そして大規模な製品開発プロジェクトのプロジェクトマネージャーなど、長年にわたって契約外の仕事をさせられましたが、正社員化を期待させる幹部社員の言動を信じて日夜仕事に没頭し、長時間過密労働にも耐えました。
ソフトウェア開発者として、この高崎に骨を埋めようと決意していました。


派遣先大企業とのたたかい

しかし、待ち受けていたのは突然の雇い止め。業績不振に陥った会社は、現場の声を無視して大幅な人員削減に踏み切ったのです。
派遣労働者を契約外業務で酷使したあげく、いとも簡単に使い捨てるやり方に納得できなかった私は、会社を相手にたたかうことを決意しました。複数の新聞社が「これはおかしい!」と何度も記事に取り上げてくれました。そして、1年に及ぶ団体交渉の末、会社は派遣法違反の事実を認めて謝罪し、再発防止を約束してくれたんです。
担当業務が海外に移管されたために職場復帰はかないませんでしたが、多くの人に支えられ、温かい励ましを受けて勝利和解を勝ち取ることができました。この時、見ず知らずの私に手を差し伸べて一緒にたたかってくれた政党が、ほかでもない日本共産党でした。そして、高崎市も実態調査に乗り出してくれました。
たたかいを通して得たものは、私にとってかけがえのない宝物です。


市民運動から政治の世界へ

その後、地域に根ざして頑張る中小業者の商売やくらしを守る運動、原発ゼロをめざす運動、平和な世の中の実現をめざす運動など、私は様々な市民運動にかかわり、世の中の不条理に直面して苦しむ人たちの怒りの声や悲鳴をたくさん聞いてきました。この世の中には様々な問題があちこちに転がっていることを知り、個々の努力だけではどうにもならない問題がたくさんあることも知りました。こういった問題を解決するためにも、今の政治を変えなければ!
それが、毛嫌いしていた政治の道に私を駆り立てた理由です。
そして、私は骨を埋めようと決意した大好きな高崎市の市議会議員を目指すことになりました。




私の大好きなパンクロックミュージシャンが、「未来は僕らの手の中」と歌っています。
失われかけている「国民主権」という言葉を僕らの手の中に取り戻すために、これからも理不尽な権力には絶対屈しません!